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被災者報道――1995年1月17日からの1週間現地ルポ――

hisaisya160.jpg 被災者報道――1995年1月17日からの1週間現地ルポ―― 

1995年1月17日、阪神淡路大震災発生の14分後から放送を再開した地元ラジオ局、AM神戸は自ら被災しながらも地域に情報を発信し続けた。大震災発生後1週間の奮闘の記録。

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目次

スタンバイ
5時46分
6時00分
中継の技術
安否情報
暗闇のダイヤル
現場中継
パジャマ姿
臨時スタジオ


【立ち読み】

中継の技術

   放送は14分後に再開されたことになる。しかしさらに中継を可能にするためには7時25分まで、気の遠くなるような復元作業が必要だった。
 AM神戸の送信所は、淡路島にある。前年秋までは北淡町にあったのだが、明石大橋の開通にともない隣の東浦町に新しい送信所が完成し、すでにそこからの送信が始まっていた。わずか7キロの距離をおいて、棒状の巨大アンテナを9方向からワイヤで固定していた旧式は倒れ、新式の直径16メートルもある八角形のタワーは無事だった。

 須磨区の局ではこの日、宿直として技術畑から一人、ピンチヒッターで正垣功生(技術部次長、53歳)がマスタールームの簡易ベッドで仮眠をとっていた。「なにか」が起きたときに対処する役回りである。自家発電が作動するや、機械という機械から警報音が鳴りだした。

 局と同じ須磨区に住む谷山博(技術部、46歳)が一番乗りで駆けつけた。局内のモニターラジオからは何も聞こえない(本当に放送できているのかどうかわからない)。スタジオの着信専用電話を放送につなぐハイブリッドもトラブルを起こしている(外から電話でリポートしても放送に乗せられない)。いずれも英国ニーブ社製ミキサー内部のマイコン・プログラムがダウンしていたためだ。

 屋上にある400メガの送受信アンテナも停電後に機能を停止していた(これでは中継車からの電波が受けられない)。神戸市内には局ビル屋上を含めて総計3カ所の送受信アンテナがあり、ここを経由してリポートをスタジオに伝え、淡路島へもここから送信される。つまり、スタジオと副調室、マスタールーム、中継車、最低1カ所の送受信アンテナ、淡路島の送信所、以上のどれ一つも中継放送には欠かせない。

 送受信アンテナ3カ所のうち2カ所が使用できなくなっていた。谷山技術部員が屋上にのぼり受信機だけ取り外してマスタールームに設置(自家発電装置につなげたのだ)、次いでガレージの上にアンテナを仮設した。

 正垣次長らは、中継のための機材を手探りで暗闇の瓦礫の中から捜した。現場からの連絡用の150メガ無線機しか見あたらず、受信機に即席の改良を加えた。150メガは普通、放送用には使っていない。音域が狭く、したがって音質が悪い。が、リポートだけならこれで機能するはずだ。

 マスタールームに戻った正垣次長は、自分が横になっていたベッドの上にメカ類を目いっぱい搭載したラックが倒れこんでいるのを見て、命あることに感謝するほかなかった。

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