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「買ってはいけない」は嘘である

usodearu.jpg 「買ってはいけない」は嘘である
文芸春秋
第61回 文藝春秋読者賞受賞作

定価:800円

絶版ですが、

『「買ってはいけない」は嘘である』は文庫『それは違う!』に収録されています。

PDFでお読みいただける、電子書籍もご購入いただけます。
600円

目次

第1章 『買ってはいけない』はインチキ本だ
この本のどこか「科学的」で「医学的」なのか。/『買ってはいけない』を信じてはいけない。
参考 疑わしきものを薦めるのですか?(『買ってはいけない』共著者・渡辺雄二)
第2章 もう一度言う『買ってはいけない』はインチキ本だ
まだまだあるウソ、捏造、歪曲の動かぬ証拠。/これでも「インチキ本ではない」と言い張るのか
第3章 「環境ホルモンで精子激減」の奇々怪々
「精子減少」すら実証されていなかった!/これまた人を不安に陥れる狼少年ジャーナリズムの好例
第4章 ダイオキシン猛毒説の虚構
母乳が危ない、焚火をやめろ、子どもを生むな。/根拠なきアジテーションこそ問題だ
終章 運動と環境とジャーナリズム
現代という時代を理解しない恫喝運動の行き着く先は、無責任な「禁止の地雷地帯」


 

終章 運動と環境とジャーナリズム

ベストセラー『買ってはいけない』の欺瞞と危険性を、ただ批判したかったのではない。そこには、現代社会の度しがたい病理が典型的に顕在化していた。四人の無責任な著者たち、彼らは典型的な扇動家である。その著書はすべて、『あぶない電磁波』(船瀬氏)やら『超毒物ダイオキシン』(渡辺氏)やら『危ない化学物質から身を守る』(三好氏)という、実に直截なものばかりだ。
 もちろん私は、そのすべてを読んだ。毒性が強烈で、寿命が縮んだと思う。ある本では電磁波が犯罪激増の主因とされ、別の本ではダイオキシンが犯罪激増の主因であり、他の本では新築住宅が主因だと書いている。
 《九七年五月、全国を慄然とさせた神戸小学生惨殺時件。逮捕された一四歳の少年A君の犯行の背景に、住宅汚染があるのでは......といったら、あなたはおどろかれるだろう。》
(船瀬氏『「新築」のコワサ教えます』築地書館)
 もちろん、おどろきます。
 この人たちの頭のなかは、少年/消費者=弱者=善=無罪、住宅産業=大企業=巨悪=有罪、という単純な図式で一杯なのである。この図式を、被害者の両親に向かって言えるだろうか、などとは絶対に自省しない。なぜなら、この人たちの頭のなかは、少年/消費者=善=無罪、大企業=巨悪=有罪、という単純な図式で一杯だからである。
 《新築住宅に長期間住んでいる人が一〇〇人いたとして、そのなかで、頭痛やめまいなどの「化学物質過敏症」の症状が現れた人が一人しかいなかったとします。しかし、なんの症状も現れない九九人にとっては関係のないことで、安心してよいのでしょうか。そんなことはありません。この人たちは、「化学物質鈍感症」といえるでしょう。「化学物質鈍感症」の人は、一見元気そうに見えますが、免疫力が低下して自然治癒力が弱まっており、かえって危険な状態だと考えることもできます。》(三好氏『危ない化学物質から身を守る』KKベストセラーズ)
 笑いをとりたいわけではないのだろう。三好氏は、不安だけでなく大金をもって来院するアトピー患者やその親を恐怖のどん底に落としてから商売に励む「臨床環境医」であり、冗談を口にすることはないし、一言でも異論をとなえる者には問答無用で面談拒否の方である。なのに企業には、異論をもって面会を迫り、拒否されると事実無根の記載で中傷する。大企業=巨悪=有罪だから、それは有りなのである。なぜなら自分たちは、正義の味方であるからだ。
 三好氏は私の要請に対して、「意見の違う者と話しても時間の無駄だ」と明言された。他方で、同じ(別人なのか?)三好氏は、「週刊金曜日」のアンケートに一部企業が「認識が違うので、お答えできません」と回答した企業を卑劣だと激怒しておられるのである。
 それにしても、症状が現れた一人より現れない九九人のほうが、かえって危険な状態だと言い募る論法に、ハマってしまうことのほうが危険な状態ではないのか。
 実はこの論法こそ、『買ってはいけない』だけに特殊な病理ではなく、九〇年代後半に多くの知識人を陥落せしめた必殺技だった。無知な「九九人」の市民を啓蒙しなければ、人類が滅びる。そのような短絡思考が市民蔑視であり知の堕落であることに、日本の知性たちは、なぜ気づかないのか。

* (中略)

 私は直接、渡辺氏にも船瀬氏にも会って話をしている。彼らの示唆で、いくつもの市民圧力団体から、交通費も出さないがお前の意見も『買ってはいけない』著者と一緒に聞いてやるので出てこい、という誘いを執拗に受けた。そんなものは誘いではなく、単なる圧力である。自己の権力的な横暴さに、彼らは本当に気づいていない模様なのだ。
 《そんな私から見ると、日垣隆という「モノ書き」の姿勢がよく理解できない。》(渡辺氏「<『買ってはいけない』はインチキ本だ>への反論」)
 私には、渡辺さんたちは、ものすごくわかりやすい人たちだった。
 渡辺さんは、中学二年でトラウマを抱えてしまった、という。PCB(ポリ塩化ビフェニール)が大企業の過失により食品に混入してしまった事件報道をテレビで見て、「自分がこんな状態になったら、どうしようと恐怖を感じた」。それはいいとして、その恐怖を今でも抱え込み、のみならずその恐怖を多くの消費者と共有したいと熱望し続けて現在に至っているのだった。
 船瀬さんは小学生のとき、薄暗い電灯の下で鬼のような形相をして化粧に熱中する母親への、マザーコンプレックスが『あぶない化粧品』シリーズでデビューして稼ぐようになった原点だと、みずから語った。
 すべて悪いのは大企業だ、と断じる彼らを前に、男たちの精神分析にも二十年来興味のある私は、ぜひ改めて取材を申し込みたいと思う。
 《特にアメリカでは一九七〇年代以降、「ゲイ解放運動」が起こり、ホモやレズが市民権を獲得し、(中略)その性生活は急激に乱れていった。それまで多数派であった一対一の性交渉は少なくなり、乱交が主流になった。》(渡辺氏『エイズは人類を滅ぼすか』時事通信社)
 通信社の校閲さんは、こういう単純な嘘八百をチェックできないのか。これでは、日本中の女子高校生が援助交際に走り、妻という妻たちが日夜乱交にふけっているかのように書きなぐる乱交扇動雑誌と変わらない。渡辺氏の筆は、さらに走る。
 《もしこういった状態のところに、新たな性病が一つでも入ってくればどういうことになるであろうか。いうまでもない。それは次々と広まり、多くの患者を出すことになる。その新たな性病こそがまさしくエイズであった。では、エイズはどのようにして、中央アフリカからアメリカに移ったのであろうか。中央アフリカとアメリカの媒介役はハイチ人とみられている。(中略)ハイチという国は非常に貧しい国で、一般市民に貧困者が多く、結婚も思うように出来ない男性が多い。それらはしかたがないのでホモに走る。あるいは男娼に走る。》(同前)
 私はカリブ海をしばしば訪れており、ハイチに行ったこともある。だからこれが不当な言いがかりであることは、すぐにわかる。黒人やホモが嫌いだ、というふうに素直に書けばいいところを、渡辺氏は「エイズは人類を滅ぼす」という壮大なオブラートに包む。渡辺氏は、ハイチに行きもしないで書いている。前述したダイオキシン論争では、横田一氏がとうとうとセベソやらラブカナルの事故被害についてまくしたてるので、もちろん私は現地取材で事実関係を確かめてきていたのだが、それを問うと彼は「行かなくたって......」と言いかけて口をつぐんだ。
 《ジャーナリズムとはいったいなにか?》(渡辺氏「<『買ってはいけない』はインチキ本だ>への反論」)
 自問だけして思考を止めず、もう少しあなたも考えてみてはどうだろう。
 《近年では、第二次世界大戦によって多くの犠牲者を出した。それを、批判して常に軌道修正するのが、ジャーナリズムの役目と考える。》(同前)
 事後(敗戦)になって、そういうことを安易に口にし正義と勘違いする人々によって、あの戦争は担われたのである。
 「週刊金曜日」や『買ってはいけない』が、あれだけ偽りを重ねて恫喝し不買運動を呼びかけても、何一つとして企業の姿勢は変わらなかった。
 私が書いたものに、いくつかの企業は大きな痛手を蒙っている。私は文中で軽く、ポリデントやマイルーラやヤマザキ製パンを揶揄したのだが、読者はお気づきだったろうか、『買ってはいけない』より痛烈に、というより現実的に企業は対応せざるをえなかったのである。たとえばポリデントが成分表示をする方向に動いたのは、なぜなのか。少なくとも、どちらが批判として有効か、少しは冷静になって考えてみたらどうだろう。
 現代において、勇ましい政府批判や大企業批判など、どんなヤワな初心者ライターにだってできる「安全地帯」である。船瀬氏らも実際、大企業批判だけで、サラリーマンに倍する年収を稼ぎ続けてきたではないか。圧力団体や宗派や労組の権力的横暴を揶揄するほうが、どれだけエネルギーを要することか、安全圏批判だけで食っている彼らには永遠にわからないだろう。
                  *
 本質的な指摘は以上である。
 私の取材方法論で、他人様にお伝えするに値するものはない。だから、次のように『買ってはいけない』側から難詰されたこと自体に、いくら事実でないからといっても、めくじらを立てるほどのことはないと最初は思っていた。
 《『文藝春秋』は、これまで数々の市民運動・消費者運動つぶしと思える原稿を掲載している。(中略)ダイオキシンに対する市民運動が盛り上がると日垣隆氏の「ダイオキシン猛毒説の虚構」を掲載し、その勢いをくじこうとした。そして今回また、九月号に日垣隆氏の「『買ってはいけない』はインチキ本だ」という記事を掲載することによって、息を吹き返そうとしている消費者運動をつぶそうとしている。》(「週刊金曜日」九九年八月二十日号=本書35〜40ページに全文収録)。
 「文藝春秋」誌が、ある種の先入観で見られることは、むろん読者の自由であり、私の関心外である。それは、どうでもいい。しかし『買ってはいけない』がそうだからといって、私まで「結論」や「目的」が先にあって書いているという誹謗は、やめていただきたい。いや、この点はもしかしたら、彼ら運動家と、私との最大の相違点かもしれないと思い始めている。だから、最後に触れておく。
 結論が先に出ているような取材や原稿書きなど、私は一度もしたことがない。
 もしある目的とある意図があって、結論も最初から決まっているなら、それは自動販売機ルポまたはアジテーションと呼ばざるをえない。退廃または扇動という意味以外、いったい何が楽しみでそんなものをわざわざ書くのか、少なくとも私にはさっぱりわらかない。
 先の文章は、運動家たちに「文藝春秋」に関するある種のイメージを喚起させるためにのみ書かれたのではあろうけれど、私としては、本来公言すべきではない取材の裏話を語ったほうが早道であるように思われた。
 市民運動家の横田一氏が、「文藝春秋」九八年*月号に「  」という原稿を書き、そこには文字通り予定調和的な目的と意図と結論があった。
 大急ぎで付け加えれば、私はこのルポを読んではいなかったし、横田氏の名前も知らなかった。そして、ダイオキシンは今世紀最悪の猛毒なんだろうとは思っていた。
 たぶん、横田氏のルポは好評だったのだと思う。その数カ月後に私が「文藝春秋」編集部から原稿の依頼を受けたときは、「既存ルポの線」のようなものが暗黙の前提だった。私としても、それまでにインプットされている知識でしか、仮説は立てられない。
 いつもの流儀にしたがって、国内外の「聖地」もくまなく現地に訪ね、取材を進めた。あれだけ日本では常識化しているものとは、海外現地での幾多の事実関係や研究は、かなり様相を異にしていた。米国取材から帰って、編集者と再び会い、私はどうやら当初の大前提を根本から疑ってみなければならない事態に立ち至っていることを伝えた。少し興奮
していたと思う。取材過程で数十の疑問が出てきたのだが、そのほとんどは、「ダイオキシン猛毒説」が作られた神話であると仮定すると、氷解していくのであった。
 それでもいいか、と私は二人の編集者に訊ね、了解を得た。
 翌日から、国内外の「すべて」のダイオキシン報道と学術論文を、編集部と私は集めることに尽力し、たぶん「すべて」ではなかったかもしれないが、限りなく「すべて」に近い文献に総当たりすることなる。修正された後の仮説は、最後まで揺るがなかった。
 こうして一気に書き上げたのが、冒頭に収録された「ダイオキシン猛毒説の虚構」である。
 それを彼らは、《ダイオキシンに対する市民運動が盛り上がると日垣隆氏の「ダイオキシン猛毒説の虚構」を掲載し、その勢いをくじこうとした。そして今回また》と書きなぐる。明らかに病んでいると私は思う。
 東工大助教授の文化人類学者・上田紀行氏は、こう喝破する。
 《商品の検証はたいへん結構なことだ。しかし相手を最初から「巨悪」と決めつけ、それに立ち向かうためには何をしてもいいという甘えが立場を超えて蔓延しているのは許しがたい。その意識構造は、実はオウムのサリン攻撃にもつながるものだ。》(「毎日新聞」九九年八月二十五日)
 こんなに簡潔にいってもらっては、私の出る幕がない。
 花森安治のもとで『暮らしの手帖』の編集に携わった方たちは、『買ってはいけない』は花森安治の後継であるようにPRしているけれど、花森編集長は、絶対あのような断じ方はしなかった、という。
 『暮らしの手帖』バックナンバーを大急ぎで通覧する機会をつくった。
 なるほど、まったく異質だった。
 『暮らしの手帖』は第一に、商品名をあげて商品検証を行なっているが、広告の多寡で優劣を決めたり、最初から大企業商品に狙いを定めて叩く、というようなばかげた真似は一度もしていない。
 第二に、すべて自分たちで商品を検証している。
 第三に、特定商品を殲滅するためではなく、より良い商品づくりを企業に求め消費者に橋渡すために『暮らしの手帖』は試行錯誤を繰り返してきた形跡が明らかだった。
 そして第四に、花森安治がつくった『暮らしの手帖』は、食品添加物を全否定したことは一度もない。そんなことをすれば、豆腐もコンニャクもつくれなくなる。何もかもを否定するのではなく、賢明な優先順位が、しっかりあった。
 《暮らしの手帖は、さしあたって、具体的に、一つの提案をしたい、とりあえず人工着色料と漂白料を一切食品に使わないようにする、ということである、おそらくこれは、法律で規制しなければ、実現はむつかしいだろう
 いま食品に使われている添加物は、三百四十九種類ある、その大半は、使わなくてすめば、それにこしたことはない、とうものである。しかし、なかには、ある種の保存料のように、使わざるを得ないものもある いわば必要悪みたいなものである
 ところが、この人工着色料と漂白料は、使わなければこまる、といったことはなにひとつない、しかも体にはいいわけはないのである
 しかし、私たちが、この使用を禁止したいというのには、もう一つ、べつの理由がある、この人工着色料と漂白料が使われているために、私たち自身がもっている、品質のよしあしを見わける目を、ふさがれてしまっているからである》(「暮らしの手帖」六七年秋号)。 独善とは無縁のこのような消費者運動なら、私も喜んで賛同する。
                   *
 第一章、二章、四章が「文藝春秋」に掲載されるにあたり、一見普通に見える平尾隆弘編集長、年齢が私より上なのか下なのか聞きそびれている飯窪成幸さん、「カピタン」時代から的確な助言とフォローを若いのにし続けてくれる前島篤志さん、ダイオキシン論争の設定が縁で『買ってはいけない』を私に読ませて火をつけた池延朋子さん、営業マン的気配りにすぐれた新編集マンの松本大輔さん、ありがとうございました。年齢順に御礼申し上げます。
 第三章と五章は、書き下ろしました。やはり「カピタン」以来、放任してくださっている浅見雅男部長と、結局のところ書き下ろしを「自発的に」決意させられたものの、類似体形に親近感を覚え同じ郷里の小田慶郎さんにも、心から感謝しています
 そして、扇動家の方々を始め『買ってはいけない』のみなさまにも、愛は込められませんが、いい勉強させてもらいました。渡辺雄二さんと「週刊金曜日」編集部ご一同様、私への反論文再録ご許可、ありがとうございました。


 一九九九年九月九日
                                 日 垣  隆

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