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ご就職

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郷土出版

定価:1,600円(税別)


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《編集者がつけてくれた帯のコピー》
サラリーマンとは何か。就職とは何か。これから就職を控えた学生だけでなく、「このままでいいのだろうか」と自省する会社人に贈る就職解体新書。たとえ就職に失敗しても知恵と元気がわいてくる。



目次
プロローグ 本当は何をやりたいのか?

第1章 サラリーマンとは何か
第2章 就職とは何か
第3章 さらば会社人間!
第4章 さらば会社主義!
第5章 なぜ予測が外れるのか
第6章 情報に克つ発想法
第7章 誰にもできる情報整理術
第8章 インターネットは役に立つ
第9章 営業は双方向メディアである
第10章 理科的文科の時代
第11章 若き開発者たちへ
第12章 信州テクノロジー展望
第13章 経済学の終焉?
第14章 田舎と都会どっちにするか
第15章 学生が「御社」と言う日 Q&Aと先輩たちの体験記
第16章 就職が決まったらひとり旅に出よう
第17章 就職後に訪れるかもしれない結婚とは何か
エピローグ 倒産なんて怖くない!?

エピローグ


父さんなんて怖くない

               

(一)
 土地が永遠に値上がりし続けると信じる人が、たくさんいた。さすがに、いまは違うというかもしれない。けれども、実印をつく瞬間には「いまが買いどき」と思わずにはおれず、直後からひそかに「値上がり」を期待しはじめる。こうしてまたもや、永遠なる上昇信仰が支えられてゆく。ふう。
 株価がずっと値上がりすると本気で信じていた人々も少なくなかった。一九八九年一二月二九日に日経平均株価が三万八九一五円をつけたころにも、まだ「日本の株価は高くない」と託宣する御用学者が、ごろごろいた。断わるまでもなく「御用」は皮肉ではない。シンクタンクを名乗るなんとか研究所の多くは、たいてい証券会社か大銀行の付属機関なのである。
 六五年に事実上倒産したはずの山一証券の株は、八七年には三一三〇円にまでなった。自社株を蓄財しない社員はほとんどいなかった。九七年三月の連結決算でグループ全体の負債総額は六兆六九七六億円に達していたのは、当時のスポーツ紙にも載った周知の事実だ。今年一一月一九日に五八円に下がるまで「夢よもう一度」と信じ続けた社員たちは「証券のプロ」といえるだろうか。これでは企業ではなく宗教である。

                (二)
 勤めていた会社が倒産した経験は一度しかないが、妻はそのとき「いままでよくもったわね」といった。倒産は部外者にとっては突然でも、当事者がうすうす気づかなかったら、
余程どうかしている。そのときも、妻は働きに出なかった。当時すでに子どもが二人いた。
その前後に、わたくしは二度、失業を体験している。正月にカップラーメンをすする子どもたちが「おいしいね」といったときは、さすがにこれはいかんと思った。
 サラリーマン時代には想像もおよばぬことだが、失業すると、なんともまあ豊富な暇が生じる。暇ができるということは、考える時間がもてるということだ。窮地を脱すべき知恵があれこれと思い浮かび、求めさえすれば救いの手は必ず出現する。
 ただし人望のないわたくしの場合、一一年前に独立資金を国民金融公庫に申し込んだら、
たかだか一〇〇万円の融資さえ断られた。小さな事務所をスタートさせる経費は、だからパソコンなど個々の商品は月賦で買い、取材費その他はしばしば銀行のカードローンやサラ金で工面した。サラ金と聞いてびびる人もいるといけないので注釈すると、数カ月単位で穴埋めをするサラ金がいけなくて、数十年単位の住宅ローンがOKというのは、よく考えるとおかしい。数十年先の自分なんてどうなるか、わかったものではない。
 無理をして事務所を借りたのは、悲しいかなサラリーマン時代のなごりで、「出社」せずに働くイメージが抱けなかったからである。コネも経験もない文筆業で「五年以内に年収一〇〇〇万円、一〇年目で二〇〇〇万円」というわたくしの計画書を、国民金融公庫の担当者は一瞥して、「お金や資産のない人に銀行は貸せないんだよ」とゆった。もし、あのありがたいお言葉がなければ、目標が達成できなかった可能性がきわめて高い。
 貯金ゼロ収入ゼロという家計最大の危機のときに妻は働きに出ず、ようやく夫の稼ぎが安定したころ保母資格をとって保育園に出るようになった。あれはなぜかと最近たずねたら、「あのとき私に収入があったら、あなたはまじめに働かなかったと思う」と答えた。

                 (三)
 タレントと同様に文筆業者は、日々是解雇とでもいうべき日常とつきあっている。
 数十億の遺産をのこす御仁から、サラ金や質屋に通って取材費を工面する貧乏ライターまで、その収入形態は様々であるけれど、およそフリーランサーは共通して、「いつまでも仕事は続かない」という当然の前提に立たざるをえない。
 たまたま、わたくしは今、連載を七つもっている。七つなどという数は、たとえばパソコン雑誌だけで一〇〇近くある日本の活字世界にあって、まったくどうということはない。
仮に五〇の雑誌に連載していても、隣家のおばさんが気づく可能性はゼロに近いほどだ。
 昨年は八つ連載を抱えていたから、一つ減ったことになる。正確にいえば、一つ連載が増えて、二つの媒体から解雇された。この春からは、別の仕事が二つ増える。たいした量ではない。長女の学費が前年の一〇倍くらいになりそうだから、もう少し増えてもいいか。
 電波も活字も四月と一〇月にリニューアルする習わしで、その一、二カ月前に「採用」や「解雇」が通知される。ときどき媒体そのものが「倒産」してしまうこともある。
 人気がないとか、視読率が低いとか、そういう理由だけで打ち切りが決まるわけではない。一年ごとに書き手をかえる、という方針をもっている編集部もある。ノンフィクションも小説も、必ず作品は完結を迎える。完結しないと、それはやばいだろう。テレビの世界だって同じだ。
 この仕事を一一年ほどやってきて、我ながら感慨深いのは、よく毎月それなりの収入が得られてきたなあ、という点である。連載も、単発の依頼も、すべて相手が打診してきてくれてから始まる。つまり、ある時点で自分がどれだけの仕事を抱えているかは、まったくの偶然なのだ。一週間に二〇本の締切りを抱えようが、来る日も来る日も依頼がゼロであろうが、それは先方次第なのである。もちろん暇になれば、それを充電期間と心得ればいい。だから問題は、どんなに注文が偶然によって集中しても、なにくわぬ顔をしてそれをやりきれるかどうか、に我らの職業生命がかかっている。

                 (四)
 二度の失業と一度だけだが倒産を経験したわたくしは、死にかけたことが三度もあるので、人生なにが起きてもおかしくない、と骨の髄から思っている。もちろん、倒産に直面して驚くなとはいわない。そういう時に驚かないと、ほかにあまり驚く機会がなくなってしまう。そうではなくて、「まさか」とか「信じられない」などと、いつまでも唖然としているのは、浅はかだと思う。「自分の会社だけは大丈夫だと信じていたのに」という科白だけは、男たるもの(女も)吐いてはいけない。
 万事には必ず終わりがある。自分に不都合な時期に、その終わりがやってくる可能性について覚悟しておくことは、「大倒産時代を生きる知恵」基本中の基本である。
 可能性を考えて覚悟する、ということは今の時代、なぜ肝要なのか。
 突然だれかに刺される可能性など考えたこともない、我が子にかぎってカルト宗教にハマることはないだろう、自分の妻だけは浮気をしていないはずだ、我が社は絶対倒産しない、銀行預金と生命保険さえあれば大丈夫、などという無根拠な信奉が通じがたくなっている事実を、さすがに最近は多くの人々が気づき始めたのではないだろうか。
 びくびくして生きましょう、といっているのでは断じてない。覚悟が必要だ、といっているだけだ。覚悟するとは、事前に打つべき対策は打つ、という意味である。

                (五)
 授業中にトイレに行ったことを叱責する教師に向けて、我が子がバタフライナイフを取り出し刺殺してしまう可能性について、事後「信じられない」と絶叫する前に、まず考えてみよう。親にできることは何か。殺傷用のナイフを「護身用」と思い込んで携帯する息子に、いったい「護身」が本当に必要となるのはいかなる事態かを思い描かせ、「引っ込みがつかなくなる」状況を実際に想定させてみること。「キレる」者は往々にして、「仲間」の前で恥をかかされた場合に暴走しやすいので、大人たちはできるかぎり少年たちの見栄を尊重すること。あるいは、そもそも少年はナイフに憧れをもつ存在であると仮定してみること。あるいは、キレるとはどういう生物学的反応かを、アン・モア&デビット・ジェセル『犯罪に向かう脳』(原書房)やニコラス・レグシュ『あなたがキレる瞬間』
(柏書房)などで基礎的知識を仕入れ、その処方箋にも通じておくこと−−。
 風呂で鼻歌をうたっていた中一の少女が自室に戻った直後に自殺してしまうことさえ、現実には起きている。その両親は、「恥ずかしい話ですが、親子の間がうまくいっていたら、たとえどんないじめがあっても親にだけは相談してくれるだろう、そう信じていました。よもや自分の娘がいじめられているなんて......」と語る。残酷なようだが、あえていおう。いじめに遭った体験は、現在進行中ではとりわけ親にだけは知られたくないものなのだ。我が子がいじめ/いじめられらている可能性がゼロではないとさえ想定しておけば、
実際その中一の女の子がやったことだが、「死ね」と書かれた級友らによるメモを母に見せたり、「チクるって言葉、知ってる?」と父に尋ねた、その瞬間を自殺後に初めて思い出すようなことにはならなかったはずだ。
 「我が子だけは大丈夫」と充分事前に考えていたわけではなく、実は何も考えていなかった自分を、事後そういう言葉で表現してしまっただけなのである。「我が子にも起こりうること」と構えておけば、小さなサインを見逃さない観察力が、ぐんと高まる。
 それは、「自分の会社」でも、「自分自身」に関しても同じことだ。涵養すべきなのは、
歪みや危機を読み取る観察力である。

                (六)
 本書『ご就職 大倒産時代を生きる知恵』は、就職情報誌『LEAD』に一〇年間にわたって求められるまま寄稿したものに大改編をほどこして成ったものです。
 ただし、第八章だけは『論座』(朝日新聞社)九七年一二月号(原題「検証・インターネットの価値 情報の巨大宝庫は生活にどう役立つのか」)に、またエピローグの前半部分は『サンデー毎日』(毎日新聞社)の九七年一二月二七日緊急増刊号(原題「倒産なんて怖くない」と九八年三月六日緊急増刊号(原題「いつまでもあると思うな、お金と会社」)
を基にしました。それ以外は、すべて『LEAD』誌に掲載されたものばかりです。
 この本は、地方で働くことを選択肢の一つにしている若い人たちとその家族を主な読者に最初から想定して書かれたものです。それだけにむしろ、すでに久しく会社人をやってこられた方々にも、その体験や見聞によって、わたくしと対話しながらこの本を愉しんでいただけるような気がします。
 連載当時の『LEAD』編集長、小山順さんには、就職に関わるすべてのテーマで、いつも対話のなかから、わたくしの思考を紡ぎ出す役をずっと担っていただきました。
 わたくしの自宅書斎の片隅に眠りかけていた、大量の既発表原稿をどっさり持ち帰り、そのなかから今回、ぜひ就職の本を出しましょうと提案してくださったのは郷土出版社の林佳孝さんです。そのまま一冊にまとまって刊行されるのかとのんびり構えていたら結局、
全面的に手を加えて、ほとんど書き下ろしのような加筆再編作業を強いられ、いや、強いられたわけではないのですが、それがプロというものだろう、という感じにさせられたわけではありました。遠くから、いつもわたくしの仕事を応援してくださっていた高橋将人社長の出版社で、これからの人たちに捧げる一冊の本を、こうして刊行できることは本当に幸せなことです。


カリブ海の島々へ出発する当日の朝に記す  日垣 隆

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