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<検証>大学の冒険
目次 「<検証>大学の冒険」という名の部外者による観察的報告のために、私は一年近くを費やしてしまった。いったいどれだけの企業人、卒業生、大学人、および学生たちに会ったのか、もはや正確にはつかみがたい。大学取材の旅を、いったん終えようと思う。部外者だからこそ部内者より多めの書物とも交わらねばならなかった。部分的引用はできるだけ控え、実証的根拠を示した場合のほかは、その書物のエッセンスを凝縮して便宜に供することに努めた。しばしば見られる単なる読書記録などにならぬよう、一読にあたいすると思われたもののみを厳選して参照文献として掲げたのは、ただ誠意に近づくためにそうした。自己と他者の見解をあいまいにすることが、ためらわれただけである。批判的言及に関しても、批判にあたいするからこそ検証の俎上にあげたと、ご理解いただきたい。
こうしたルポルタージュのスタイルは、私の知る限り日本では前例がない。ジャーナリズムはよりアカデミックに、アカデミズムはよりジャーナリスティックに、という手法が成立しうる時代になったのだ、と私は思う。もちろん今回、こうしたスタイルを自分にあえて課したのは、月刊誌掲載時における比較的熱心な読者層が、アカデミズムに身を置く人々であろうとの予感に基づいていた。だから説得力を狙った単なる戦略であったともいえる。別の面からいえば、私は勉強が好きなのである。ただひたすらの暗記合戦も、試験に従属された勉学強制のあり方も、御免こうむりたいが学問は好きだ。 自己目的の学問は、これまで学者の専売特許でしかなかったように思える。ただし、これからの日本に、まっとうな国際貢献のための学問立国というスローガンが掲げられても不思議はない。一方では「大学危機」を契機として、他方では「学問立国」を媒介として、大勢の社会人が大学になだれこみ、けっきょく大学などたいしたものではない、と確信される時代の到来が期待される。日本人には学問の顔が、本来よく似合うと思う。 私はこれまで、何度か失業や倒産を体験している。トラック配送もやったし歩合制のセールスマンもやった。大学を出ようとする二二歳やそこらで、おのれの能力やら適性を「発揮」しうる就職など、できるわけがないではないか、と私は密かに考えてきた。就職は、くじ引きのようなものだと。だめなら、やりなおせばいい。リターンマッチがかないやすい、という点で日本はまんざらでもないと私には実感される。ただ日本には、個人の競争がなく、家族の開放がなく、組織の連帯がない、そう見える。横並び意識を個人がめざし、ちょっぴり抜けでることを家族が願い、抜けでた者の安全地帯として組織は機能してきた。それは不幸なことでもありえ、幸福なことでもありえた。旧来の意味での組織的また家族的ではない、個人の連携による学問が、この日本で希求され共有されてよい。 取材費不足を嘆く恒常的金欠ライターと自認しながら、わが小学五年生の娘とアジア各地のスラムや海辺を歩き、小学三年生の息子と深夜に海釣りを楽しみ、保育園児の次女と秘湯にたわむれ、妻とともに野菜を自給し、学校を便利なところと割り切り、書物劇画楽器動物昆虫ワープロその他を与え、それがまた家庭文化格差の再生産を招きうると自戒しつつも、あらゆる事態に備えようと心しているのは、個人的な事情がないとはいえない。私は中学三年で大好きだった弟を学校事故で失い、高校三年で受験を控えていたとき、同時受験をすることになった浪人中の兄が、弟の事故の顛末に耐えかねていたこともあって、分裂病をきたしていまなお入院している。はっきりいってしまえば、学歴の諸問題など、死に比べたら何ほどのものではない、と考えているふしが私にはある。 大学には、二割の前向きな人々と、六割の惰性の人々と、二割の後向きな人々がいる、と私には感じられた。改革の成否は、六割をどちらがより強力に引っぱることができるかに、かかっている。大学に限らず、およそあらゆる組織がそのようであり、のみならず、個人の中にさえその三つの観念は同じ割合で同居しているのではないか、と思われた。私は密かにこの傾向を「二−二−六の法則」と呼んでいる。そして例えばその二割の中にも、さらにまた「二−二−六の法則」が貫徹していると観察された。「大学の現在」を思考する旅を通じて私は、その確信をさらに強めた。 非科学的な、という人があるかもしれない。けれども、指標や評価は、しばしば直観的で、あいまいなほうが健全なのだと、私はそう考えている。 一九九四年 一月五日 日 垣 隆
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