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情報系 これがニュースだ

jouhoukei.jpg 情報系 これがニュースだ
文藝春秋

定価:676円(税別)
『情報の技術 インターネットを超えて』待望の文庫化
絶版となりましたが、本書の単行本
『情報の技術』電子書籍版を当サイトで販売中です


《編集者がつけてくれた帯のコピー》

80年代ニッポンの形
湾岸戦争からペルー日本大使館人質事件に至る25の出来事を様々な形で描く。


 

目次

第1章 動く地図
第2章 被災者報道
第3章 電脳図書館
第4章 電脳書斎
第5章 デジタルな遊戯
第6章 アナクロな教室
第7章 ハイテク五輪?
第8章 橋本大二郎の技術
第9章 難病を越えて
第10章 盲目の読書人
第11章 取材と情報源
第12章 キューバ紀行
第13章 太平洋を越えた恋
第14章 六法よりも奇なり
第15章 「島田裕巳問題」を解く
第16章 東京大学貧乏物語?
第17章 保健婦が行く
第18章 病原遺伝子を追え
第19章 DNA捜査の落とし穴
第20章 記憶が消えた講談師
第21章 インターネットと政治
第22章 長期予報は当たらない
第23章 たかが部活のために
第24章 ロス疑惑を許せなかった日系人
第25章 出稼ぎ日系ペルー人の百二十七日
あとがき

解説

 二〇〇〇年の流行語大賞に選ばれたのは、「おっはー」と「IT革命」だった。実にどうでもよい大賞だが、その年末の新聞では、こう総括されていた。
《インターネットに代表されるインフォメーション・テクノロジー(IT=情報技術)が流行語として、盛んに使われたこの1年。デジタル関連の話題を振り返ると、確実に時代は変化し、そのスピードには改めて「これがたった1年間のできごとか」と驚かされる。》(「朝日新聞」二〇〇〇年十二月二十二日)
 この二〇世紀末までに、会社や学校での利用およびiモードを含めたインターネット利用人口は、日本だけで七千万人にも達したという。急激な変化は、やはり二〇世紀最後の年に起きた。
 本書のもとになった単行本『情報の技術 インターネットを超えて』が出版されたのは九七年十月、同名の連載が月刊誌上で始まったのは九四年十二月号からである。当時は、本文中にもあるとおり、日本のインターネット利用人口はまだ一%にも満たなかった。
 いきなり難点をいえば、早すぎた、のだと思う。
 ベストセラーの条件は、半歩先を行くことである。そういわれてきた。三歩も五歩も、そんなに急ぐことはない。あわてすぎると貰いは少ないともいう。
 著者は、なぜ急いだのか。
 本人の弁によると、「文庫になるころタイムリーだと驚かれるニュースな本を書きたかった」という。
 世間を舐めているのか。
                   * 
 あら探しをすべく、本書のなかで時代遅れになった単語を見つけ出してみよう。「電脳情報ボックス」というヘンな言葉があった。
《電脳情報ボックスにアクセスすれば、誰でも議会や行政の情報公開を自宅に居ながらにして求められる。臨海副都心開発やら世界都市博の予算と進行状況や中止する場合の問題点やゼネコン各社の名前や議事録やら知事見解など、すべてを公報やテレビや新聞で流すことはどだい無理だが、「詳細は都知事電脳情報ボックスへどうぞ」とやればいい。無党派層の反乱だの政党政治の敗北だの知名度が勝因だのテレビ時代を象徴だのと、いつまでも旧態依然の尺度を振り回している場合ではない。》(第4章「電脳書斎」)
 当時はまだ「ホームページ」という言葉が流通していなかったとはいえ、「電脳情報ボックス」は、いくらなんでも恥ずかしい気がする。
 第8章「橋本大二郎の技術」を、浅野知事も石原知事も田中知事も誕生した現時点で読むと、〝当然〟なことばかり書かれているように思える。また、たとえば第18章「病原遺伝子を追え」も、第19章「DNA捜査の落し穴」も、第20章「記憶が消えた講談師」も、これらが書かれた三、四年後には、いずれも科学の世界で厳密に証明され常識化していったことばかりだ。
 第1章の「動く地図」も、自分が極度な方向音痴だから、たまたま気になっていた素材であるにすぎない。たとえば第15章「『島田裕巳問題』を解く」のインタヴューだけで三年半もかけ、第12章「キューバ紀行」を書くのに足かけ十八年もかけるなんて、どうかしている。
 いっけん鋭そうに見えたとしても(笑)、この書き手はいちいち、あれこれ考えるのに非常識なほど時間とエネルギーをかけている。要するに実は、とろいのではないか。
                   

 本書の前身が刊行されたとき、書店では評論やノンフィクションの棚ではなく、コンピューターやビジネス書のコーナーに置かれていた。書評の多くも、コンピューター専門誌とビジネス雑誌に出た。
 スポーツ誌の世界でも少々、呆れられた。第23章「たかが部活のために」を読むと、彼は熱い男なのか。それとも、ただ飽きっぽい奴か。ヤクザ者か。判然としない。いずれにせよ、ちょっと壊れているのではないか。
 つい先日、彼はJR大宮駅で、次のような会話を発券窓口の職員と交わしていた。
日垣「十八時四十六分発の長野新幹線で終点まで、グリーン車を一枚お願いします(成金的)」
駅員「次に来るやつね。ええと、禁煙席? 喫煙席?」
日垣「長野新幹線のグリーン車には喫煙席はないでしょ(妥協して「禁煙席を」とはいえないわけである)」
駅員「どっちか一応、聞いとかないとわかんないからさ。ときどきいるんだよね、あとで代えてっていうお客さんが」
日垣「長野新幹線のグリーン車には禁煙席しかないってんだろ(眉間に皺)」
駅員「いや、ありますよ、東北新幹線とかには」
日垣「東北新幹線で長野まで行けんのかよ、えっ?(いつもの皮肉。こめかみぴくぴく)」
駅員「お客さん、そんなことで怒らないでください。私も一生懸命やってんスから」
日垣「じゃあ、東北新幹線で長野まで一生懸命に連れてってみろよ。ぐちゃ(壊れた)」
                   *
 ある本に付された著者プロフィールには、こうある。
《作家、ジャーナリスト。1958年、長野県生まれ。中3で弟を殺され、高3のとき兄が分裂病に、家族は崩壊する。東北大学法学部在学中に学生結婚。卒業直前に大病を患い、体重が減ったほかは奇跡的に快復。あとはオマケの人生と腹をくくる。販売員、書店員、配送係、歩合のセールスマン、出版社の営業兼コンピュータ担当兼編集を経て、87年に独立。
 29歳で処女作『されど、わが祖国』を上梓、その後の主な著書として、『大学の冒険』『「松代大本営」の真実』『ご就職』『学問のヒント』『子どもが大事!』『少年リンチ殺人』など。軟派小説、悲喜劇番組の企画、ラジオ番組のパーソナリティも務める。死にかけたのは総計三回、失業も三回、うち倒産が一回。》
 部分的なプロフィールにすぎないのだが、読み手によっては、えらいこっちゃと思う方もおられるかもしれない。これは編集者の手によってピックアップされたものだ。本人が書いた単行本を読めば、以上のような〝経歴〟を摘出することは比較的容易である。つまり彼は、全然有名でないくせに、よく自分を語っているということになる。
 自意識というのは、なかなかやっかいなものである。自意識の希薄な物書きというのは、たぶん存在しえない。他人様に向かって文章を書く営みは、まさに自意識との折り合いだといってもいいくらいだ。
                   

 とはいえ本書では、第12章「キューバ紀行」など一部を除いて、〝私〟を記述することに禁欲的である。しかし、むしろそれ以外の各章のテーマ設定にこそ、実は〝自意識〟が濃厚に刻印されている。十八歳の初めての海外渡行先が「キューバ」であったのは、ただの偶然にすぎない。十八年をおいてキューバに再び出かけ、その歳月の隔たりと社会主義の現在を活字に留めようと試みたことだけが、書き手の強力な意思である。各章は、すべて書かずにはおれなかった必然的なテーマばかりだった。
 作家やジャーナリストにとって、先見性が命であるのかどうか、私にはまだわからない。では、物書きは究極的に何を扱っておるのか、と問われれば、簡単に答えることができる。
 それは、情報系であり、その時代のニュースである、と。情報系には、もちろん近未来のITだけではなく、記憶も、遺伝も、政治も、行政の仕事も、犯罪捜査も、旅行も、学問も、スポーツも、そして「愛」なんかも当然に含まれるわけである。
 本書はこの著者にしては非常に珍しく、皮肉や屈折した表現がきわめて少ない。『敢闘言』(太田出版)や『「買ってはいけない」は嘘である』(文藝春秋)など、皮肉と屈折だけで成った本といってもいいくらいだった。どうして本書がこれほど素直に書かれているのか。不思議である。
 とはいえ、本書に「これがニュースだ」という副題をつけているのは、ふざけた自信家なのか。それとも、ただの皮肉屋というべきか。

  私小説のように〝自分〟を主人公に据えて書けば、むしろ逆に家族や時代の骨格が浮き上がってきます。けれども〝私〟を消していくと、残るのは大なり小なり〝ニュース〟です。たとえば先ほど引用した私に関するプロフィールは、「~である」系の引用断片だけで成り立っていますが(日本で圧倒的主流の報道スタイルもこれです)、本書は私が「見たり聞いたり調べたりしたうえで考え抜いた」情報系の連鎖で成り立っています。だから、一つのテーマが発酵するのに、しばしば五年や十年もかかってしまうのでした。
 本書で書き残したテーマは、この両者の狭間で右往左往する自意識の問題でした。そして、二十五の章で試み、ただ一つ洩れたのは、解説という方法です。だから、あとがきに代えて、解説にしたのでした。
 これを実際やってみて、著者本人が自作の最後で「解説」をしない理由が、ようやく私にもわかりました。
 むずかしいのです、とても。
 けれど少し考えてみれば、これはいわゆる自己紹介の一変種なのですね。だから私は思いました。小学生に自己紹介を強い、受験生に小論文を課すのは、思慮に欠ける行為ではないかと。自意識に対する客観的検証と人生経験の蓄積なしに自己紹介などなしえませんし、簡潔な短文ほどむずかしい表現形式は他に見あたらないからです。
 本書が成るにあたって、文藝春秋の池田幹生さんにご尽力いただきました。もしかすると「解説」を書いてくれそうな人が見あたらなかったのかもしれず(冗談)、あとがきを、といわれたのに、自分で解説を書いてしまいました。すいません。
 皆様には本書『情報系 これがニュースだ』を、一晩に一章ずつくらい読んでいただければいいなあと密かに思っています。毎晩、ちょっぴり元気になってもらえるかもしれません。それがかなえば本望です。
              

〔二〇〇一年二月〕

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