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裁判官に気をつけろ!

saiban.jpg 裁判官に気をつけろ!
角川書店

定価:1,300円(税別)

本書は全国の書店またはamazonなどのネット書店でお求めください


編集者が付けてくれた帯のコピー

これが日本のバカタレ判決

●父親が性交を強要されても、強姦には認定されない
●家族が殺されても、犯人が覚醒剤使用なら「心神喪失」で大幅減刑
●被害者の一方的な証言のみで痴漢は有罪に
●女性が脅迫をうけ暴行されても、指入れまでならただの猥褻罪
●飲酒運転で殺されてもドライバーには「心神耗弱」が認定
●母親の子殺しよりも、覚醒剤所持のほうが重い実刑
●妻が"睡眠中"の夫に殺されても「心神喪失」で無罪
●老婆が若い男にレイプされたら「了解不能」で無罪

法律を10倍理解し、己を守るための必読書


目次

第一章  意外と法律問題(ザ・ジャッジ)はおもしろい
第二章  犯罪を不成立にする七つのルール
第三章  「了解不能」こそ了解不能だ
第四章  日本から尊属殺人が消えた日
第五章  裁判用語としての和姦と強姦
第六章  色恋沙汰と性犯罪のあいだ
第七章  迷走する「わいせつ」
第八章  いまだ被害者不在の男根主義
第九章  痴漢「冤罪」が絶えない理由
第十章  日本は賭博粉飾国家である
あとがき

 いつか、このような本を書いてみたい、と思っていました。日本の裁判官によって日々書かれている判決文の異様さを、むしろ笑い飛ばすような本を、私は書いてみたかった。
 刑法で飯を食っている人たちがいます。法務省の役人、検察官、刑事部の裁判官などがそうです。この専門家たちは、現行刑法を正しいと骨の髄まで思い込んでいます。彼らは一市民として生活したことがほとんどなく、日常的に接触するのは二種類の人間(刑法の番人か犯罪者)だけなので、どうしても人間観が単純かつ二極化してしまいがちです。
 だから、おかしな論告(検察官)や弁論(弁護人)やバカタレ判決(裁判官)が頻出してしまうのですね。しかも、憲法も民法もみな戦後の産物だというのに、我が刑法は明治時代につくられたまま、今やほとんど使い物になりません。いつまでもそんなことを国民に隠しておいていいのでしょうか。
 世界各国の刑法と判例、そして日本の数千におよぶ判例を集めてみると、例外的にヘンな判決がある、というのではなく、「刑法で飯を食っている人たち」のヘンな常識が随所に溢れていることがよくわかってきます。
 それらを健全に笑い飛ばすことから始めてみることにしたい。それが本書『裁判官に気をつけろ!』における第一の趣旨であります。

 この国のなかで、判決文をきっちり網羅的に読んでいる、という人はほとんど存在しません。裁判官の人事を担当しているセクションですら、その出来不出来にかかわらず、上級審で判決が覆ったらマイナス2点などとつけているだけです。大学法学部に所属する商法学者が、行政法や少年法や公職選挙法に関わる判決文に関心をもつことはまずありえません。
 司法は、小中学生にはよく知られているとおり、立法と行政と並んで三権の一つとされています。本当でしょうか。
 各界トップであれバッシングして首を飛ばしうるマスコミを「第四の権力」と呼ぶ人も少なからずおります。揶揄としては、あるいはマスコミ人の自浄作用としては意義あるものであっても、それは国家権力ではない、という点で定義上ふさわしくありません。
 大新聞の記者が殺人の容疑者を独占インタヴューしたら、その記者は逮捕監禁罪で捕まりますし、大規模脱税者をスクープした記者が勝手に税金をとりたてたら、強要罪と詐欺罪、さらに所得税法違反、国税犯則取締法違反、国税徴収法違反などに問われるでしょう。

 マスコミが国家権力でないことは明らかですが、国民がマスコミに期待している希少な面としては、三権に対するチェック機能があるはずです。とりわけ議会や行政に対しては、マスコミ従事者以上に国民の視線が厳しくなってきています。
 けれども、裁判所に対しては、国民もマスコミも、ほとんどノーチェックです。
 もちろん、重大な凶悪犯罪に対する判決が出たら報道はなされます。しかし、記者も判決の全文を読んでいるわけではなく、担当デスク諸氏にも判決文を熟読する習慣などありません。他方、大学の法学部で使う教科書には、大昔の判決文が引用されてはいても、いまこの国で起きている判決文が授業で取り上げられることなどまずありえないのが現状です。一般国民のなかに、もし、わざわざ判決文を取り寄せて読む人がいたら、たぶん真犯人か何かでしょう。

 ともかく、三権の一つであるにもかかわらず、ワイドショーやニュース番組のなかでも「司法」の占める割合が異常に少ない、という問題点を私は指摘しておきたいと思います。日本では「逮捕」が最大のニュースなのです。逮捕されたら一巻の終わり、と多くの人が考えている。新聞記事でも、大物の逮捕は一面トップになりますが、起訴や判決は三面の片隅に小さく載るだけです。
 つまり、司法という三権の一つが、行政の一分野にすぎない警察・検察機構の下請けと化しているわけですね。こうして、日本で司法は「おまけ的な儀式」にすぎません。
 それを国民が承知でいるのなら、あるいは国民が司法を信頼している結果であるなら、構いません。むしろ幸せなことだと思います。
 が、残念ながら、国民は裁判の異様さを知らされていません。

 私は本書で、司法の根源に関わり、かつ生活に身近なテーマを取り上げました。
 世間を騒がす凶悪な事件についても多くの字数を費やしましたが、同時に、愛の形にもなれば凶悪な犯罪にもなりうる性の問題、愉しいゲームにもなれば刑法犯で逮捕されかねない賭け事についても、後半でさまざまな角度から検証してみました。
 本書は、月刊「ミステリ」二〇〇二年七月号から二〇〇三年五月号まで連載された「裁判長、お気を確かに! これがトンデモ判決だ」が基になっています。これを二〇〇三年七月の時点で、その後の展開を本書に反映させ、さらに最新のデータに書き換えました。
 そのまま単行本にするのではなく、きっちり手を加えた、と言いたいわけです(笑)。

 連載時から単行本に至るまで、ずっと傍らで水(←原稿料)と絆創膏(←事実関係のチェック)と拡声器(←激励)をもって伴走し続けてくれたのは、前著『何でも買って野郎日誌』と同様、角川書店・書籍事業部の山本浩貴さんです。
 原稿の進行具合を問われて、思わず「信用できず督促するならもう書かない」と言ってしまったことが一度だけありました。ごめんなさい。あれは本当の私じゃなく、心神耗弱でした。
 なお、いちおう私は法学部を出ていますが、これまでの人生で何の役にも立ちませんでした。けれども本書執筆を通して初めて、少しばかり得をした気分になりました。悪文の典型たる膨大な判決文や六法全書が、すらすら読めるのです。学生時代の苦行は、大リーグボール養成ギプスだったのである!
 と、思うことにいたしました。
   二〇〇三年 盛夏
   日 垣  隆

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