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父親のすすめ

chichioya.JPG 父親のすすめ
文春新書

定価:710円(税別)
3人の子を育てた、日垣流「父親の極意」

本書は全国の書店またはamazonなどのネット書店でお求めください


目 次


はじめに――親にできること
  親と子は違う
  夢のバックアップを
 「親を必要としなくなる」日をめざす
  究極は「この親をクリアできたらどこでも通用する」

第1章 基本
1、しつけとは
  自己肯定感の強い人々
  選択の余地なく教えるべきこと
  舐められない
  親「にも」責任がある
  最悪の事態を想定しておく
  羞恥心を教える
  異世代の人と会話ができるように

2、食事中のテレビについての考察
  子どもが生まれたら食事中はテレビを消す!
 「正しい指摘に適応できない大人」の問題
 「働いて帰ってきて自由にテレビも見れんのか!」考
 「ごちそうさま」を!

3、教養と判断力
  自分を相対化するための教養
  学生に活字を読ませる方法
  バランスが狂っている
  敢えてブログを書かせる
  人生は判断の連続である
  判断力をつけさせるには

第2章 問題解決
1、学校で
  少数派の効果
 「先生運」が悪い
  間違ったルールへの対症法
  問題解決の方法

2、親子関係
  子どもと街を歩けなくなる日?
  子どもと旅ができる関係を築くには
  いつまで一緒に風呂に入るか
  子どもに対する性的妄想について

3、敢えて言う
  いわゆる「一人っ子」問題
  理不尽な優先順位
  熱を出したときこそ父親が
  対策は二種類しかない
  銀行振り込みへの抵抗
  教師に対する批評の是非

第3章 進学
1、高等教育へ
  大学へは行かせたほうが良いか
  小学2年生で自信を失わせないために
  なぜ試験と表現力が肝要なのか
  高等教育に送り出す者の義務

2、子どもの進む道
  発想の転換
  一七歳の作文「農業高校で考えたこと」
  全体状況と個別状況は別!
  口先だけの大人にしない

3、小論文突破法
  エンドレスゲームの罠
  小論文の要諦は技術ではなく体験
  中学で「国語二」の子が小論文で大学入試を突破するには
  高三の小論文「農業の未来は暗くない」
  個性をどう表現するか
  高三の小論文「補助金ではなく生産者を支える仕組みを」

第4章 自立
1、準備
  子どもに成功体験を
  一五歳になったら海外へ独りで
  たくさん失敗しないと問題解決能力は育たない
  自分で前に踏み出さないと何も始まらない

2、相対化を
  他人の飯を食え
  潰さず、暴走させず
  それぞれの流儀で

おわりに――子育ての卒業
  過剰な不安はいらない
  ダメな親でいい!
  執筆後記
帯 【前】

誰もここまで言わなかった!

本音の子育て論



帯 【うしろ】

選択の余地なく教えるべきことがある!
子どもと旅ができる関係を築く!
羞恥心を教える!
大人の会話を聞かせる!
食事中のテレビは消す!
「ごちそうさま」が言える子に!
判断力をつけさせる!
取り返しのつくもの、つかないものを教える!
一緒に風呂に入るのは小学校4年生まで!
15歳になったらひとりで海外に行かせる!


【立 ち 読 み】
はじめに――親にできること

親と子は違う
 今から一二年も前、息子が小学校四年生のときの話です。当時、長女は六年生、次女は一年生でした。思い出すとビビりますが、その一年間は小学校へ三人も通わせていたのです。
 ある日曜日の朝、八時ころ家族全員が起きて一緒に食事をとり、そのあと居間で息子はソファに座りました。それから二時間くらい、そのままボーッとし続けたのです。

 私は小さいころから、ボーッとしたことがありません。とりあえず、ここでは笑わないでください。
 たまたま私は一二年前にタバコをやめたのですが、やめて一番困ったのは、どうやって休んだらいいかわからない、という点でした。馬車馬のように働いてしまう。たいていの日本人はそうだと思いますが、銀行や病院の待合室でも、八割くらいの確率で雑誌を開き始めます。暇つぶしというか、退屈に耐えられないのでしょう。私は、とくにそうでした。

 それなのに、息子が二時間くらいボーッとしている。これは我慢しなければいけないと思いながら、一仕事をして、再び一二時ころに見たらまだボーッとしているのです。さすがに今度は、死んでいるのかなと思って「お前大丈夫か」と言ったら、普通に「あ、うん」と返事をする。熱があるのかと訊いても「全然ない」と言う。その後、簡単に昼食をとり、一時半くらいにまた仕事部屋に戻りました。当時ほとんど毎週どこかに家族で出かけていましたが(一緒に出かけられる期間などごくわずかです)、その日はみな家でそれぞれに過ごしていたようです。

 私はパソコンのある場所に行き着くまで軽く掃除をしたり、靴下を洗濯機に入れるまでの途中で片づけをしたり、平日と同じように、ちょこまかと動いてしまいます。
 その後もまた居間のソファで息子が二時間くらいボーッとしたままだったので、さすがに怒りました。「お前、いい加減にしろ。日曜日を何だと思ってるんだ」と。ものすごく怒ったわけです。こちらは何とかこらえて、お昼までは我慢に我慢を重ねていたのだけれど、ついに堪忍袋の緒も切れた。

 そうしたら、彼はボロボロと涙を流し始めたのです。小学生だとはいっても、男の子ですから泣くのは珍しい。これはきっと何かあるのでしょう。「いま思っていることを何でもいいから話してみたら」と促すと、「僕は、日曜日にこうやっているのが一番幸せなんだよ」と言うわけです。

 私は、そんな答えを全然予想していませんでした。「ごめんなさい」とか「今日だけは」とか「ちょっと具合が悪い」とか、そういう返答を予想していて、すぐ「言い訳するな」と続けようかと考えていたわけですが、ボロボロと泣きながら「僕は幸せだ」って。恥ずかしながら、私はこのとき初めて気づきました。親と子はまったく別人格なのですね。

 これからは人間の見方を変えなければいけないな、というくらいのカルチャーショックでした。表には出しませんでしたけれども。それからゆっくり落ち着いて、「ほかにはどういうときに気持ちいいなあとか、幸せだなあって感じるの?」と尋ねたら、息子はこう答えました。「動物と一緒にいるときはね、もっと幸せなんだ」って。


夢のバックアップを
 その日以来、我が家では犬を飼うことになりました。「でかい動物も好きなのか」と訊くと「犬も大好きだけど牛も大好き」で、何年も前に見た放牧中の牛が忘れられないのだそうです。「ずっと近くにいたい」と今でも思っていると言うのです。

 信州の安曇野で牧畜をやっている後輩がいたので、夏休みにそこで預かってもらうかという話をしたら、本当に嬉しくて仕方がないという感じでした。
 私も現場を知っておかなければと思って、送りついでに少しだけ手伝いました。その牧場主は二年下の後輩で農学部を出ているのですが、私が迂闊にも「うちの息子は勉強ができなくて」と言ったら、「これからの百姓ほど、しっかり勉強しなくてはやっていけない仕事はないんだ」と怒られました。深く反省しつつ私はすぐ帰って来たのですが、息子はその夏休みがものすごく楽しかったらしいのです。

 「百姓」は差別的な言葉と思われがちですが、本当は百の作物を作るという意味です。その後輩は百姓だけあって、どういう物が薬草になるとか、改良すればこうなるとか、牧場経営のこととか、遺伝子のこととか、実にいろいろなことをよく知っています。息子は文字どおり地に足の着いた勉強をみっちりと夏休みに経験して、自分もたくさん勉強しなくてはだめなんだと、心からそう思ったようです。それ以降、生活万端が本当にガラッと変わりました。 子どもがいったん夢をもった以上は、できることはすべてさせる。親としてはそれをできるだけ応援したいと思いました。

 私の知るかぎりこの国の親たちは、例えば中学生の子に「海外留学をしたい」と真剣に言われたとき、深く考えず「高校を卒業してから」と言って逃げ、高校を卒業すると今度は「大学を卒業してから」などと言いつくろい、受験以外のことをどんどん先送りしてしまい、結果的に子どもの夢を平気で潰してしまいがちです。


「親を必要としなくなる」日をめざす
 親の務めは、子どもを自立させることです。それ以上でも以下でもありません。このことについて、ほとんど異論はないでしょう。この自立という肝心の指標に関して、ニートとフリーターは本質的に異なります。
 内面的な自立とは、みずから責任を負うべきことを他人のせいにしないということであり、形式的な自立とは、親を必要としなくなる状態です。

 いい歳をした大人になっても、内面的な自立ができていない人はたくさんいます。ただ、内面は客観的な指標とはなりにくいので、形式的な自立の成否を見ておくしかないでしょう。
 言うまでもなく「形式」はとても重要です。民主主義も、形式によって成立します。被選挙権が内面評価によって「誰か」に付与されたりされなかったりするものであれば、とうてい民主主義とは言えません。「誰か」ではなく「誰もが同じように判定できる」方法こそが民主主義の本質なのです。

 子どもの自立についても、親がその有無を認定する、ということになるとかなりマズいことになります。現代の奴隷制と言ってもいいでしょう。AC(アダルト・チルドレン)のほとんどすべては、この「奴隷的な子育て」の必然的結果でした。

「子育ての目標は、親を必要としなくなること」というテーゼは、もちろん正しいのですが、実際にはなかなか実現困難なことかもしれません。
 私の場合は、結婚前も今も、もともと子どもが好きなほうではなかったので、「子どもが親を必要としなくなる」という目標は比較的簡単でした。

 なかには、「自分は子どもを好きになれないのではないか」という畏れを抱いている若い人が少なからずいますが、そういう人は大丈夫です。むしろ、もともと子どもが大好きで、とりわけ自分の子どもには何でもしてあげられる、と思っているタイプの親に問題が生じてしまいがちなのは、皆様も周囲を見渡せばすぐ気づくでしょう。

 そのような主観は、子どもの自立を阻みがちだからです。虐待に走る親も、溺愛している親も、本質的に子を自分の所有物と勘違いしている点で、変わるところはありません。
 そうした親にかぎって、この子の将来のためとか何とか言って、お受験やら、ありふれた塾やらに無理やり突っ込み、伸びきったパンツのゴムみたいな子どもを育ててしまう。
 これも、よく見かける光景ですよね。

 親は趣味でやっているのでまだいいとしても、子どもがかわいそうです。
 子育てに際して、「褒める」のと「厳しくする」のと、どちらがいいのかという、実にくだらない質問もよく耳にします。なぜ「くだらない」のかと言えば、子育ての目標から考えれば、それはおのずと明らかになるはずだからです。

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