ID:

パスワード:

前の記事| |次の記事

いのちを守る安全学

anzengaku.jpg いのちを守る安全学
新潮OH!文庫

定価:543円(税別)

環境リスク評価の第一人者中西準子氏や、失敗学の提唱者畑中洋太郎氏、被災地での住民調査を通して災害報道を考え続け「帰宅難民」問題にいち早く取り組んできた廣井脩氏(故人)との対談集。この非常事態の中で過小評価せず、闇雲に怖がらず合理的なリスク評価をするための一助に。

本書は全国の書店またはamazonなどのネット書店でお求めください


《編集者がつけてくれた帯のコピー》
現代人の危機管理術  


 

目 次

第一講 犯罪被害者になった時......ゲスト 小西聖子氏(武蔵野女子大学)
第二講 災害報道は何を伝えたか......ゲスト 廣井脩氏(東京大学)
第三講 化学物質との正しいつきあい方......ゲスト 中西準子氏(横浜国立大学)
第四講 失敗に学ぶ......ゲスト 畑村洋太郎氏(東京大学)


 

はじめに

有村美香アナウンサー このシリーズの総タイトルは「サイエンス・サイトーク」といいます。「サイエンス」はもちろん科学。「サイトーク」は、インターネットで出会いの場を表わす「サイト」と、対話を意味する「トーク」を合わせた、私たちスタッフがつくった造語です。
日垣隆 サイエンス・サイトークの特徴の一つは、ラジオとインターネットと文庫の三つの形で複合的に発信することを最初から決めてスタートした、新しいメディア・ミックスである点です。毎月のテーマを設定して、そのテーマの最前線にふさわしいゲストに出演を依頼し、ゲストである科学者がこれまで書いてこられたすべての著書と論文をしっかり読んだうえで、各ゲストにつき最低二回から三回の対話を重ねてきました。
有村アナ 実際のオンエアは三十分番組として、そのエッセンスを放送するという形になりました。TBSのホームページ上で、すでに放送された回のすべてを、放送時とほぼ同じ状態で聴いていただく工夫もしてみました(http:/www.tbs.co.jp/radio/)。
日垣 文庫の形でお届けするのは、すでに放送された内容を核としつつも、各ゲストにつき実際にはその十倍近い時間を「サイトーク」する幸運にめぐまれましたので、さらにゲストによる研究論文なども必要に応じて加味しながら、この文庫を書き下ろすころができました。
有村アナ 書き下ろしだと強調なさりたいわけですね(笑)。
日垣 そうそう(笑)。で、本書はすべて私に文責があります。これは新潮社の編集者たちと私のアイデアなのですが、ラジオはラジオとして完結させつつ、文庫では読者が新鮮に科学を楽しんでもらう、これまでにない相応の努力と工夫をしたいと考えました。
有村アナ 雑誌や本でも対談や座談会はたくさんありますが、対談者の一方がすべて文章化の作業にも当たる、というのは初めての試みだといっていいのでしょうね。文系と理系を問わず、スタジオに来てくださっていた学生さんたちも、大学の講義よりずっと面白いといってくれていました。
日垣 大学の講義が、つまらなすぎるのかも(笑)。ただ、会場で若い人たちが笑ったり真剣に頷いたりしてくれたところは、少なくともよく理解できたところでしょうし、それなりに大脳が刺激された面があるのだろうと思います。
有村アナ 会場にいつも大勢の学生さんたちが来てくれて、普通のインタヴューや対談とは、ずいぶん雰囲気も違いました。
日垣 いい質問もたくさんしてくれた、というだけでなく、むしろ学生たちの存在自体が、このサイエンス・サイトークを、わかりやすい内容にしてくれたのだと思います。もし私たちが聞き手に徹し、そして科学者が話し手として相対しているだけであれば、ゲストは私たち二人の反応のみを見て一方的に話をされることになります。けれども実際には、私たち三人は横に並び、向かい合った学生たちに一緒に話しかけるというスタイルをとることができました。
有村アナ ぜいたくなゼミのような雰囲気でしたね。
日垣 各回とも、たくさんの質問や意見を出してくれました。学生の知的好奇心が落ちている、というのは、きっと嘘でしょう。ただあまりにもそのやりとりが膨大すぎて、その一部しか活字にできなかったことを、お詫びしたいと思います。でも、できるだけ、そういう質問の趣旨は、私たちの対話のなかに補うという形で生かすことができたので、その点でも感謝しています。
有村アナ 日垣さんが一番、心がけたことはどんなことですか。
日垣 誰もがするだろうというような質問はしない。たくさん事前に勉強はしていくけれど、そのことは表に出さない(笑)。そのかわり、ゲストには帰り際、なんだか今日はこれまで考えてきたことがうまく話せたなあ、と思ってもらえるようにしたい。ゲストとの対話のなかで出てくるであろう現場にも、必ず足を運びました。これも表には出さない。
有村アナ さりげなく、触れてはいました(笑)。
     *
日垣 今回のテーマは「いのちを守る安全学」です。
有村アナ 安全という言葉はニュースでも頻繁に使われますが、「安全とは何か」という本質的な問いはなされてきませんでした。
日垣 だからこそ、ここでやってみようと思ったわけです。
有村アナ なるほど(笑)。
日垣 有村家には、小さいお子さんがいらっしゃる。
有村アナ 子育てをしていても、安全は最大の関心事です。
日垣 あらゆる年齢層や職業の人たちにとってもそうでしょうが、放送に関わる人たちにとっても切実なテーマですよね。災害時のラジオ放送は、被災地では命綱です。そこでは極限的に安全が脅かされています。この本では、身体の安全を脅かす有害化学物質、財産と生命を根底から覆しかねない巨大事故や地震、あるいは心の安全を瓦解させる犯罪被害などなど、私たちはまず、実像を多角的に知ろとすることから始めたいと思います。ウソとしかいいようのない学説や風説も、きっちり批判しました。
有村アナ 「安全」を具体的かつ総合的に考察する初めての試みになりそうですね。
日垣 他人事としてではなく、わかりやすい言葉でこの大きな問題にアプローチしたいと思います。科学の世界でも理解や納得は、小難しい知識の断片より、むしろ共感や笑いや怒りが不可欠なのではないでしょうか。
有村アナ すでに刊行されている『愛は科学で解けるのか』と『ウソの科学 騙しの技術』も、ぜひお読みください。

 


 

第一講 犯罪被害者になった時  より一部を抜粋

ゲスト 小西聖子氏=武蔵野女子大学教授

(前略)
有村アナウンサー 加害者のことを被害者が理解する必要はないと思うのですが、その理解ができなくなっていく、距離が広くなるっていうのはあるのでしょうね。
日垣隆 刑事裁判から被害者は締め出されているっていう話が先ほどありましたが、たまたま地裁へ傍聴に行った帰りの廊下で、加害者側の弁護士と、追及する側の検事がニコニコしながら雑談をしていたとか、それ自体は何でもないことなのだけれども、遺族から見たら、それもたまらなかったり、あるいは加害者が成人して、成人式に出たっていうことを聞き及んだだけでも、ものすごく傷ついたりする場合もある。そもそも、子どもを喪った親たちは、楽しむことに非常に抵抗感をもたれる方が多いですね。
小西聖子 楽しんではいけないと思ってしまうのですね。子どもがこんなふうな死に方をして、今はもういないのに、私だけが楽しむなんて許されないって......。さっき日垣さんがおっしゃった自責感とつながってくるのですけれど、殺されてしまったのは、私たち親にも責任があるのだからと自分を責め、例えば自分は布団で寝る資格なんかないって思っている方もいます。旅行なんかに行く資格なんてないんだとか、おいしいものを楽しんで食べるなんて許されないと考えておられたり。
日垣 うちの母親もそうでした。私の弟が、蒲団の上ではなく、コンクリートに頭を打たれて殺されたことを思うと、そういう感情が湧き出てしまうのでしょう。旅行なんて、とても生き残った家族だけで出かけられないと思っている人たちも、たくさんいます。私は、そういう感情に縛られたくなくて、正反対の人生を送りましたが(苦笑)。時間が癒すっていう言い方もあるけど、要するに、家族の突然の死さえ今の自分をつくってくれた財産なんだっていう突き放し方ができたとき、初めて立ち直ったといえるのかもしれない。
有村アナ 世間的には何ということもない日常的な楽しみ、ゆっくり蒲団の上で寝たり、のんびりお風呂に入ったり、そういうことをするときにさえ自責感が沸いてきてしまうというのは、本当に苦しい状態にあるのですね。
日垣 報道による被害っていうのも結構あります。
小西 そうですね。もちろん、加害者のことばっかり擁護して、被害者のことは非常に冷たく扱うとか、そういうことにも傷つきますけれど、もう少し踏み込んでいうと、例えば最初はすごく被害者のことを重視して扱っていたのに、ちょっとでも被害者のほうに責任があるようなことがわかると、手の平を返したようになる。マスコミって、何ていうのかな、どっちかが正しくて、どっちかが悪い人っていうことでしか事件を見ない傾向があるんですね。でも普段、正しい人か、悪い人かっていうことは、問題じゃないはずです。
学生1□自業自得による殺人っていうのは意外に多いのですか。
日垣 そんなものは、ありません。
小西 うん、ないです。たとえ、殺意を誘発するどんなひどいことがあったとしても、相手を殺していいということにはならないでしょう。
日垣 喧嘩両成敗とか、挑発したほうも悪いという言い方もよくありますが、喧嘩したり挑発することと、殺されることとは全く別次元です。でも残念なことに、あの殺人の犠牲者は自業自得だった、といわんばかりの報道って結構あるんだよね。背景を探ることと、その殺人を正当化することとは、もう全然違うってことがわかっていないのかなあ。
小西 正義の味方になって報道している感じの文章っていうのは、どっちにしても被害者のことを本当にはわかっていないんじゃないか、という感じがしますね。
日垣 家族を喪った人たちに話を聞いてみると、味方であるはずの親戚に傷つけらたっていう話も、よくあります。
小西 多いですね。
日垣 いじめ自殺でさえ、それはもう悲しいくらいに親は心のなかで自分を責めているのに、なんで早く転校させなかったんだとか。一方的かつ悪質な飲酒運転による犠牲だったとしても、なぜそんなに夜遅く外に出ることを許したんだとか。十八、九歳になって夜十時くらいに外にいるっていうこと自体は何ともない(轢き殺されていいという理由になるわけがない)のに、それを親戚が責めてしまう、親をね。止めてあげていればとか、子育てが悪いんじゃないかとか。そういうことを平気で親戚がいったりする。「また子どもをつくればいいじゃないか」なんて、ほんとひどい、悪質な傷害罪だ(苦笑)。
小西 やっぱり、それは近い分だけ遠慮がなくて主観的には助けてあげているつもりで、でも結果的に二次被害を与えているのですね。だから、積極的に寄り添うっていうより、まずその二次被害をよくわかって、それをなくすということが先なのではないかな。
有村アナ そういうことをしてしまう親戚の人も、善意にとれば、何かアドバイスしてあげようみたいな気持ちだと思うのですが。
小西 それは、たぶんそうですよ。あまりにも深刻で具合が悪そうだから、いつまでもそんなに沈んでいちゃいかんとか、ちょっとハッパかけてみようとか、そういうふうに善意でやっているのだと思います。まあ、それだけじゃなくて、親戚の関係っていってもいろいろあるから、一言じゃ決められませんけど。
有村アナ 身近な人が苦しんでいるという、そういう姿を見たときに、第三者としての意見をいうよりも、もっと他にすべきことがあるのかなぁって......。
小西 たぶん、そういう人の横に行くと、自分も苦しくなるから、どうやって励ましていいのかわからないっていうのがあって、つい余計な一言をいっちゃうってこともあると思いますね。わざわざ意見をいうっていう感じではないですよ。実際の場面では例えば、お葬式の電話をしなくゃいけないとか、来週法事があるから電話しなくちゃいけないとかのために、親戚が電話をしたときなんかに、「一年もたったのに、何いってるの」とか、そういう感じで出てくるのね。だからある意味では、ごく自然に、それからあまり相手がいつまでも元気がないから、ついイライラしていっちゃったりとか、そういうようなことが反映されてしまうんだと思います。
学生2 そういう哀しい事件に遭ってしまった人が周囲にいたとしたら、どんなふうに接してあげたらいいのでしょう。


(後略 あとは本を買ってください! たった543円+税です)

前の記事| |次の記事

 

ページ先頭に戻るトップページに戻る