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電子書籍版 エースを出せ!

ace.jpg 電子書籍版 エースを出せ!
脱「言論の不自由」宣言

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帯(前)
裸の王様を討て!
息たえだえ「天声人語」の断末魔
長野県議会の稚拙な"戦略"
反省なきNHKの"やらせ"体質‥‥‥
返り血をあびる覚悟で書いた渾身のメディア批判

帯(後)
――エースというのは、その組織で最も偏差値優秀な人材、という意味ではありません。順風満帆であれば、トップには誰がなってもいいのです。(中略)現在の日本は、しばしば明治維新や戦国武将の時代に例えられることがありますが、あまりにも軽率な見方です。あの時代にエースは、おのずと出てきたのです。いまは違います。我々が選び、評価しなければならないからです。――あとがきより



目次

第一 <朝日>の章
ひきこもる「天声人語」の断末魔  
「天声人語」パワーダウンの歩み  
新聞の漢字表記法に困惑      
新聞が記事にしないこと      
朝日新聞「紙面批評」追悼     

第二 <報道>の章
悪文と思考停止の標本市       
「外務省詐取報道」考        
有名人微罪報道の基準は       
未確認情報の氾濫        
消えた狂牛病報道          
報道する側の義務          
批判を受けて耐える         
夕刊廃止と編集者魂         
スキャンダルの変貌         
調査報道以前の問題        
自分のメディアをもつということ  

第三 <テレビ>の章
オカルト番組にハマる理由     
ドラマと笑いと不倫         
テレビやめられない日記      
NHKやらせスペシャル       

第四 <犯罪>の章
特別扱いの事件に思うこと      
家族の惨劇と心神喪失        
精神障害犯罪者、何が問題か     
正常と異常のあいだ        
交通殺人について          
検察の正義?            

第五 <政治>の章
政治家とカネ            
メディアと政党           
田中康夫は裸の王様か        
毒をもって毒を制す         
小泉純一郎議員への反論       
ブランドと不信感           
法治国家たれ!            

第六 <科学>の章
ダイオキシン論争          
買ってはいけない論争         
パンドラの箱を開けた不妊治療    
正義と安全と思い込み         

第七 <世相>の章
中年男女のピクニック不倫       
大失業時代の到来           
なぜ自殺を?             
生き続ける死者            
"アウトロー作家"の正体は      
いまどき不条理なハワイ旅行      
戦争と修学旅行            
『新しい歴史教科書』を読む      
新旧のナショナリズム         

あとがき
あとがき

 
本書は、ずいぶん多分野にわたるものになりました。これまでも、教育、情報、医療、文化、スポーツ、経済、犯罪、社会などの分野で書いてきましたが、一冊の本に<科学>から<政治>まで七つの大テーマを詰め込んだのは、初めてです。
 もちろん各タコツボにご棲息の専門家には敬意を抱いています(なら、どうしてそういう皮肉な言い方をするのか)。いや、本当です。専門家たちによる詳細な調査や学術文献こそ、私の日々の栄養源であることは間違いありません。しかしここで強調したいのは、たとえどんどん細分化されていっても、現実にはそれらが独立して存在しているわけではない、ということです。
<報道>の章にも書いたとおり、例えば新聞記者は便宜上、長野県政担当とか中国担当とか災害担当とか国交省担当などに分かれているわけですが、中国経済や災害や公共事業に通暁していない者が地方自治や首長を論評する浅薄さまたは危険性を、私たちは日々ますます強く感じています。知事担当も、警察担当も、サミット随行記者も、なぜかあたりまえのように若い記者が配置されていますが、日本の新聞がつまらなくなってきている最大の理由は、取材体験も人生経験もろくにないのに、あるいはそれゆえ大局的な見地にも立てないまま、世界各地の事例も視野に入れず、歴史的な検証もせずに、狭い担当周辺の"関係者の言い分"だけ真に受けた記事を垂れ流してしまうからです。
 自分の教養や世界観を日々構築研鑚していない者が、例えば都道府県知事に「ぶらさがり」と称して張りついて、いったい何の意味があるのでしょうか。知事と互角に対峙できるような体験と視野をもった記者が一人もいないのなら別ですが、私の知るかぎり、そのような人たちは、どの社にも少なからずいます。サミットでの総理番(追っかけ記者)にしても、たいてい日本の総理はサミット出席すら処女的なわけですが、その随行記者団までサミット未体験者ばかりというのでは情けないにもほどがあります。
 こうした不条理で稚拙な現象は、新聞社だけではなく、至るところで表面化してきています。地方自治、外務省、政党、スポーツ指導、医療、司法、教育、技術開発の現場でもそうです。
 だから、私は「エースを出せ!」と言いました。
 
 ただしエースというのは、その組織で最も偏差値優秀な人材、という意味ではありません。順風満帆であれば、トップには誰がなってもいいのです。これまでの首長や議員や校長や病院長や頭取がそうでした。がしかし、それぞれの組織が深刻な危機に直面しているときには、事情がまったく異なります。誰をエースとして推すべきか、それも時代や局面によって違ってきます。つまり、エースを見定める側の評価が重大な課題として浮上してこざるをえないのです。
 評価とは、何を否定し、何を肯定するのか、という判断に他なりません。
 現在の日本は、しばしば明治維新や戦国武将の時代に例えられることがありますが、あまりにも軽率な見方です。あの時代にエースは、おのずと出てきたのです。いまは違います。我々が選び、評価しなければならないからです。
 でも、それほどいやな時代ではありません。自虐的なイデオロギーしか持てないのでないかぎり、冷静に世界を見渡せば、なかなか日本の技術や文化は捨てたものではありません。この「捨てたものではないはずだ」という感情と、「ひどい指導者が多すぎる」という分裂した認識が、この国を覆っている最大の悲喜劇だと思います。
 それを何とかしよう。ただのケチつけ、愚痴ではなく、あるべき姿と、これならできそうだという現実論を調和させたい。私は、そう願って本書を仕上げました。

 ところで、この本に収録された幾多の文章は、ルポなのか評論なのか長いコラムなのか。
 実は、私にもよくわかりません。ともかく、本書に収録されている文章のすべてが、取材と体験に基づいている、ということだけは断言できます。
 取材とは何か、については、二〇〇二年秋に刊行される『情報の「目利き」になる! メディア・リテラシーを高めるQ&A』(ちくま新書)に詳しく書きました。本当に有能な書き手なら、たぶん現場に行かなくても有意義な文章をものにすることができるのでしょう。そのような能力は自分にはないので、必ず執拗に取材を試みました。私の言う「取材」には、専門書を熟読したり、データを読み込んだり、世界各地の現場を歩き回ったり、友人と雑談したり、ということも当然のメニューとして含まれています。ただし取材に費やした時間と、書いたものの長さとは比例しません。例えば、<朝日>の章の天声人語論二篇と、<犯罪>の章の「検察の正義?」とでは原稿の長さでは一三倍の差がありますが、準備や取材に要した時間は、むしろ後者のほうがずっと長い。ただし、歴代の「天声人語」を全部読むくらいは造作もないことですが、コラムについて明確に書き切るには、自らも実践者として最低でも一〇年の時間が必要でした。
 日々の「天声人語」に、思いつきでケチをつけるのは簡単なことだと思います。むずかしいのは、評価の基準を定めたうえでの批評文です。返り血をあびるのは当然覚悟のうえですし、自分にできないことを相手に要求するのは、みっともない。コラムにとって最低限必要な要素や視点や工夫は何か、どのように手を抜くとどのように堕落するのか、歴史的に「天声人語」はどうしてつまらなくなってきてしまったのか、それらを実証的に読み解いていく。その作業に説得力がなければ、ただの文句たれになってしまいます。それでは自分のためにもなりません。

 繰り返しになりますが、いま大切なのは「エース」や、ひるがえって自己を見定める評価の機軸です。試行錯誤はむろん必要ですが、致命的な失敗は許されません。もちろん幾つでも小さな失敗はしたほうがいい。けれども、小さな失敗は、致命的な失敗をおかなさいための教訓となる範囲内で許されるのです。それが危機管理の内実です。そして個々人にとって危機管理とは、他者の視線をもつ、ということに他なりません。換言すれば、いまここにテレビ・カメラや録音機が回っていても、職業人として同じことを同じようにやるのか、という自己チェックです。
 なんだか、四〇歳を超えたあたりから、説教くさくなってきました。このへんで、やめます。久しぶりに、がっちりした本をまとめたので、少し興奮しているのかもしれません。
 興奮と言えば、平野甲賀さんの一連のお仕事を、私は長く憧れをもって眺めてきました。学生時代に衝撃を受けたアレックス・ヘイリー『ルーツ』上下巻の表紙カバー(社会思想社)、その美しさと安定感に茫然とした『英国鉄道物語』(晶文社)、あゝいつかこの方に装丁をやってもらえたら死んでもいい、と一瞬(死んでもいいというのは一瞬だけね)素直に思えたのは小林信彦さんの『夢の砦』(新潮社)。
 かつて私は書店に勤めていたことがあり、のちに出版社の編集者時代には企画から校正や表紙デザインも全部自分でやっていたので、装丁にはけっこう思い入れがあるのですが、著者になってからは、これまで一度も装丁について注文をつけたり、要望を述べたりしたことはありませんでした。このたび本書を編むにあたって、文藝春秋出版局の田代安見子さんが聞いてくださり、迷わず憧れの平野さんのお名前を挙げてしまいました。あんまり言うとさすがに照れるので、このあたりで、やめておきます。とにかく嬉しかったわけです。
 田代さんには、いろいろ提案していただきました。最初は「人物論を」とのことだったのに、途中で「エースを出せ!」という括りを思いついてしまい、どどどどとっとこのような本に"流れ"は変っていきました。その新しい流れに沿って何かを書くたび田代さんから「おもしろい」と感想を寄せられて励まされ、この夏、一気に取り組みました。

 本書への再録を喜んでくださった「新潮45」、「毎日新聞」、夏目書房、共同通信、「週刊朝日」、「文藝春秋」、「諸君!」、『日本の論点』各編集部の皆様、その節には大変お世話になりました。新聞三社連合(北海道新聞、東京新聞=中日新聞、西日本新聞)の関係者各位には、いつも内容で(たぶん)ハラハラさせており、すいません。転載ご快諾に感謝いたします。
 以上はおおむね最近一年間に書いたものなので、敢えて加筆を試みました。「エコノミスト」、「views」、「新聞研究」、「月刊社会党」に掲載された文章だけは、ずいぶん時間が経っており、加筆修正はほとんどしませんでした。観察や評価には、しばしば予測も求められます。それが一〇年やそこらでハズれてしまうようでは、予測する意味も資格もありません。現時点で再公表できたことを、喜びたいと思います。ほっ。
 なお、新聞や週刊誌などでの署名原稿の著作権は書き手にあるので、単行本収録に際しての正式な許諾は法律的には必要ないのですが、道義的ないし礼儀的には必要な手続きだと私は考えており、いつもどおり各社に連絡を差し上げました。残念ながら朝日新聞東京本社企画報道室様だけは、再録依頼のメッセージを無視されました。"こう丸"ついてんのかよッ。ではなくて、胸中お察し申し上げます。


二〇〇二年 盛夏
日 垣  隆

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