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電子書籍版 何でも買って野郎日誌

yarou.jpg 電子書籍版 何でも買って野郎日誌
2001年11月発行

PDFでお読みいただける電子書籍版
(2.45MB)pdficon_large.gifを販売中

定価:1,365円680円
引き続き特別割引実施中!

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目次

はじめに
第1話  世紀の年末年始
第2話  家族合流旅行
第3話  通販生活な日々
第4話  俺は父親である
第5話  銀行との折り合い
第6話  戦争は終わっていた
第7話  俺に関する噂に鉄槌を
第8話  南の島へ
第9話  ちょいとばかりHな話
第10話 男たちは莫迦なのか
第11話 人生是博打
おわりに



帯コピー(表)

買って
買って
買いまくれ!!

買えば世界が見えてくる――
 カフスボタン100個
  ブランドタイ300本
   通販利用額年600万
毒とユーモアで打ちのめす買い物狂エッセイ!
今一番危険な論客が挑む"実践的社会考現学"なの?



帯(裏)

カジノで人生を思い、
ヴェトナムで床屋に身をゆだね、
タヒチで軍鶏に喝采を送り、
グアムでヴィトンの付箋紙入れを買う。
自転車泥棒に怒り、
銀行の倒産を予言し、
誰も気づかぬカフスボタンを嘆き、
娘の留学日記にほろり。
深夜自宅で通販のカモとなり、
今日も店員に嫌味を言い、
宝石店をハシゴしつつ、
海辺で大量の本を読む。
さあ、人生是博打。
≪おわりに≫

 一〇月×日 非常に気になることができ、やむなく、また近所の蔦屋書店に大学入試問題集を買いに走る。つい余計な文房具まで買ってしまい、合計一万四九六〇円。
 入試問題に文章が使われた大学から、「作品使用報告書」というお役所的"礼状"が届くのは、例年三月から五月にかけてのこと。今年は三大学に私の文章が使われた。入試に使われるような、まっすぐなものを書いているつもりはないのに、不名誉なことだ。
 もちろん入試問題なのだから、事前に許可をとらなくてもいいわけだが(許可をとったら問題が事前にバレてしまう可能性が高まる)、それにしたって「ありがとうございます」とか「ご活躍をお祈りしています」という類の挨拶も一切なし。とにかく「右、報告します」という高慢ちき文のみ。予備校や通信添削会社が使用した場合は、この事後報告すらないのだから、まだマシなのか。
 普段なら、こんなふざけた報告書と入試問題など見ないのだが、今年は長女の大学入試の年でもあるので、とりあえず試しに一つだけ、私の『学問のヒント』(講談社現代新書)から一文を抜いた問題を解いてみることに。全部で一〇問もある。
 問一の漢字問題は楽々クリア。
 問二は、次のような問題だった。

 波線部aの意味としてもっとも適切なものを、それぞれ次の1〜5の中から選びなさい。
        1.空間 
        2.通信
 a メディア  3.媒体
        4.映像
        5.機械

 ううむ。私が「メディア」という言葉を使う場合、通信(2)や映像(4)などを含む媒体(3)または空間(1)という意味に使っている。これはかなり厳格な定義である。同書にも、それは明記しておいた。が、その部分は出題の対象にはなっておらず、受験生は読むことはできない。仮に読んでいたら、この問題は解けないだろう。ということは、この出題者には国語能力が著しく欠けているか、それとも相当の悪意をもった男(たぶん男)だ。
 さて常識的に考えて、メディアの意味として(5)機械でないことだけはわかる。(2)通信と(4)映像はこの場合「狭い」ので外してもいいのだろう。たぶんそうだ。とすれば、正解は(1)空間か(3)媒体である。
 仕方がないので、入試用に転載された私の文章を読んでみる。大学入試における現国の選択問題を間違えないためには、いきなり先に「問」を読み、六割程度を外してから(この場合は2.通信と4.映像と5.機械)、最後の二者択一時に出題の対象となっている文章の該当部分だけを読む、というのが正しい態度である(じゃなきゃ解けっこない。書いた本人がわからんのに)。

《学者たちが「存在と時間」を巡って哲学するようになるのも、分単位の時計、電気、映画といった近代的aメディアが登場する前世紀末を待たねばならなかった。》

 しつこいが書いた本人として正確にいえば、ここでいう「メディア」は、やっぱり通信や映像などを含む媒体または空間、という意味に私は使っている。同書のなかで私は、むしろメディアを単に新聞やテレビという狭い使い方ではなく、媒体、ひいては空間として捉えることを提唱したのだ(問題文にその部分は出てこないが)。もちろん、肉声による会話も立派なメディアなのである。肉声は、空気の振動によって伝わる。したがって、メディア=媒体=空気という等号が成り立つのだ。
 ところで、こうして出題された私の文章を読むかぎり、ここでいう「メディア」の意味としては2.通信と4.映像は違うけれど、5.機械でも悪くはない。いや、《時計、電気、映像》が例示されているのだから、1.空間でも3.媒体でも5.機械でも私的には正解だ。
 おそらく、出題者的に正解は5.媒体だと思う。しかし、メディア=媒体っていうのが答えだったら、いくらなんでも問題として安直すぎないか。やはりこれでは、「問」だけ先に読んで解答しちゃったほうが正答率はぐんと高まる。
 問三と問四は、さっぱりわからなかった。問五から問七は正解の察しはついたが、解き進むにつれて、私は出題者の悪意に吐き気を催した。いろいろな背景を複雑に交錯させながら書いたのに、《著者が念頭においていたと思われる背景を一つ......》と著者の繊細(いつから繊細?)な感情を逆撫でし、私が一万二〇〇〇字もかけて書き綴った一章から二〇〇〇字分だけ抜き出してきて、しかもそれを《五〇字で要約しなさい》と恐ろしいことを平気でいう。五〇字で要約できるなら、私だって最初からそうしている。莫迦も休み休みいってもらいたい。
 脱力しつつ、最後の問題に目を通す。
《本文の趣旨にあうものを、次の1~7の中から二つ選びなさい。》
 私がいいたかったことは、1と2と3と4と5と7だ(長くなるので省略)。さすがに6(時間を粗末にするものは、いつの時代でも取り残されてしまうものである)なんて説教じみたことは考えなかったが、しかし6もよく読むと、なかなか良いねえ。
 さてまあこうして、気になって先ほど買いに走った大学入試問題集の解答篇を開くと、一〇問中、私の正解は七つ。
 なかなかいい成績だ。って満足している場合か。
 最後に、私はいっておきたい。
 本書『何でも買って野郎日誌』は、大学入試問題への使用を禁じます(←偉そうに聞こえた?)。

 一一月×日 ホテルで仕事をすれば元を取ろうと浅ましく頑張るので"博打的にはプラスだ"との信念をもつ私が、所持金ばかりか預貯金もほとんどないにもかかわらずクレジットカードさえあれば大丈夫だと、前日から泊まっていたホテル西洋銀座(優待料金一泊四万二九〇〇円)の優雅な喫茶室で、角川書店の山本浩貴さんと再び会っていたのは七月二八日の午前中だった。別件の連載に関する打ち合わせのためだったはずだが、いつのまにか年内に『何でも買って野郎日誌』を先につくりましょう、という展開になった。
 すでに原稿を私のウェブサイトで書き溜めていたとはいえ、単行本になるような量では全然なかった。けれども、私にとってこの「日誌」を書くのは至福の時だったので、「こういうのならいくらでも書ける!」というような意味のことを山本さんにいってしまった。口が滑った、というほかない。
 そのことを"証明"するため、というか、本になることが決まったので気が緩み(?)、その打ち合わせの翌々日からタヒチに向かったのだが、帰国後すぐに「タヒチ編」を書き始めると、あっというまに四〇〇字×一一〇枚もの分量に達してしまった。
 それが、本書の最後の三つの章になったわけである。たった一週間あまりの滞在にすぎなかったのに、まるで三カ月もいたような書きっぷりだが気にしないように。今年の二月から七月までの分もまだ手をつけていなかったので、これも一気に書いた。本書の記述のなかには、ときどき『新潮45』での連載「腹立月録」(二〇〇一年一月号〜九月号)が織り込まれている。それ以外は、ホテル滞在費その他の支払いをするためにも(そんなためだったのか)私はがんがん書いた。ただし我がサイトで何回か公開したところ、多くの「ガッキィファイター」読者の方々が、実に具体的な感想をたくさん寄せてくださった。
 これまで私たちは「見えない」読者しか想定できなかったのだけれど、幸運なことに、私は書き下ろしをやる前から大量の「見える」読者の笑いと声援を受けながら書くことができた。単行本編集長の堀内大示さんを始め、『何でも買って野郎日誌』を読んで"おもしろい"と笑ってくださった角川書店書籍事業部の方々にも、勇気づけられ(調子に乗ってしまい)ました。
 イラストはワタナベケンイチさん、装丁は榎本太郎さんです。無謀にも私は、山本浩貴さんを通じて「中性的なかわいらしさ」と「インパクト」と「かっこよさ」と「お洒落感」と「いいかげんにしろ」という表紙のイメージを同時にリクエストしてしまいました。まさか、ここまで本気でやってくださるとは。"硬派ジャーナリスト"の本とは思えない仕上がりに、深いヨロコビを感じています。
『少年リンチ殺人』(講談社)や『「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか』(北大路書房)や『偽善系』(文藝春秋)というような本を書いてきた者が、本書のような軟派ともとられかねない本を書いていいのか、との声もあるかもしれません。いいのです。ひとは、硬派でもあり軟派でもあるから、愉しめるのです。

 最後に。サラリーを貰っての仕事と自分がやるわけでもないスポーツネタしか話題のないおじさん、お帰りはあちら。もう威張るのはやめろ。我らおやじたちも、街へ買い物に出よう。男の嫉妬と居直りはみっともないです。恋人や友人を選ぶのが難しく、かつ愉しいように、自分にあった品々を選ぶのは、なかなか深い味わいがあります。数々の"失敗"こそ人生への有効な投資だからです。たくさんの小さな失敗に学んで独自のスタイルを築いていく営為を、私たちは文化と呼んでいます。例えば手作りの靴は本来、二五〇もの工程から出来上がっています。それを「安い」とか「高い」とか「足のサイズは何センチ」という基準だけで買い物をしてしまうのは、恋人を胸囲や眉毛の細さだけで選んでいるようなものです。一本のエンピツや爪切りやネクタイだって、それは同じことだと思います。
 ではまた――。

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