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電子書籍版 偽善系 -やつらはヘンだ

gizenkei.jpg 偽善系 -やつらはヘンだ-

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《編集者がつけてくれた帯のコピー》

怒れ! 「真実」「善」を装うヘンなやつらに!
何でも学校のせいにする人権ママに、傍若無人な携帯電話に、"国民の敵"郵便局に、教育改革・偏差値追放という嘘に、少年は四人殺してようやく死刑という現実に、大江健三郎・上野千鶴子・鎌田慧・福島瑞穂・小田実・本多勝一・家永三郎・灰谷健次郎・スポック博士・柄谷行人・ウォルフレンの迷著群に、奪われし未来をはじめとする"狼少年本"に......
わたしたちはそろそろ怒ってもいい―。
周到な調査・取材と緻密な論理構成によって「『買ってはいけない』論争」火をつけた気鋭の論客が、この国に蔓延する「偽善系」を撃つ!



 

目次

第一章 怒れ!日本人
1.人権ママと引きこもり/2.うるさいぞ、携帯電話/3.インターネット無法地帯/4.郵便局は国民の敵だ/5.「年金は弱者のため」は嘘

第二章 教育偽善者の正体
1.私学の民営化を/2.偏差値追放の幻影/3.官主主義の悪臭/4.物事には一長一短がある/5.他人のせいにするなよ

第三章 少年にも死刑を

1.遺族を怒鳴りつけた裁判所/2.最も刑罰が軽い国/3.無期は実質二十年/4.死刑となった六人の少年/5.永山判決はヘンである/6.凶悪犯罪に少年法はいらない/7.人権無視の法律群

第四章 裁判がヘンだ!

1.裁判官の殺人感覚/2.お役人はどこへ行く/3.検察審査会は無意味だ/4.ヘンだよ、きみたち/5.エロ判決/6.おかしな「十二人の怒れる男」/7.参審制と、まともな裁判官を

第五章 さらば二十世紀の迷著たち

1.混迷深める精神医学/2.それはただの思考停止だ/3.北朝鮮は地上の楽園だったのか/4.勅語を絶賛する家永さん/5.偽善的な子ども観/6.欧米「では」というご宣託/7.狼少年本にはご用心
あとがき

あとがき

一年ほど前に『「買ってはいけない」は嘘である』(文藝春秋)を書いているとき、自覚したことが二つある。どうも私は攻撃的論争が好きらしい。もともと幼いころから喧嘩に負けた記憶がない。ときどき、自分の口舌は凶器同然なのではないかと反省することがある。普段は努めて穏やかさを保っているものの、偽善系の腐臭を感じると、その瞬間なぜか三十手先くらいまで相手の屁理屈を読みとって論破態勢に入る。一種の人格障害かもしれない。
 大急ぎで付け加えると、私は紳士的であろうと常に努力しているつもりで、権力的な人々に対してはときどきヤクザのような言葉遣いになることはあっても、たとえば学生に向かって喧嘩をふっかけるようなことは絶対にしない。言論格闘のリング以外では冷静でいたいのである。
 もう一つ自覚したことは、私は文章を書くのが早いのかもしれない(笑)。『「買ってはいけない」は嘘である』のために書き下ろした「『環境ホルモンで精子激減』の奇々怪々」や「運動と環境とジャーナリズム」という章は、同じ日に書いた。
 私はずっと、文章を書くのが遅いというふうに編集者に思ってもらいたいと考えてきた。なぜなら、そのほうが価値が高まるような気がちょっとしていたからだ。でも、力作と傑作が著しく異なるように、原稿料や印税が時間給でもらえるわけではない。もし早く書くことで内容や密度に希釈や瑕疵が生じるようならそれはもう返金モノだが、考えようによっては、読む人のスピードに近づけて書いていく、というのは一つの姿かもしれない。
 本書『偽善系 やつらはヘンだ!』は、「人はなぜ『迷著』にだまされるのか」(「本の話」二〇〇〇年一月号)と「怒れ! 日本人」(「文藝春秋」二〇〇〇年五月号)をコアにして一冊の本ができないか、と提案されたことに始まっている。基本的に私は怠惰なので、すでに発表したものだけで編めればいいなあと夢想した。しかし、「怒れ! 日本人」を仕掛けた月刊「文藝春秋」編集長は、本書の出版をもちかけている出版部長と同一人物であったので、つまり平尾隆弘さんの(月刊編集長時代)最後の号と(出版部長)最初に属する企画であり、私の甘い夢想は簡単に打ち砕かれた。
「人はなぜ『迷著』にだまされるのか」が、仙頭寿顕さんの企画編集で「本の話」に掲載されたときは二十枚の原稿(×四百字)だった。これを基に七十枚に加筆し、取り上げる迷著も二十冊を百冊まで増やして、第五章「さらば二十世紀の迷著たち」となった。
 第二章「教育偽善者の正体」と第四章「裁判がヘンだ!」は、一気に書き下ろした。本書のための打ち合わせ時に、狭いテーマではなく、できるだけ深く、しかし全体としては思想も事件も科学も医療も教育も司法も守備範囲とするような本をつくりましょうと、出版部の小田慶郎さんに前著同様、おだてられて木に登ってしまった。
 第五章「少年にも死刑を」は、「文藝春秋」二〇〇〇年八月号に掲載された「少年は『4人』殺してようやく死刑」と同一である。新編集長の松井清人さんには、思いのたけを書いてくださいと励まされ、「怒れ! 日本人」のときと同様、私など思ってもみなかったテーマを書かせては笑みを浮かべる飯窪成幸さんと、恐縮した雰囲気を表に醸しながら加筆命令では一歩も引かぬ前島篤志さんに、またしてもお世話になった。海外に飛び立つ前夜一気に書いたものだが、実をいうと不覚にも、私は書きながら二度ばかり涙してしまった。
 ともかくこうして第二章、第三章、第四章、第五章は同じ月内に書くことができた。マグマのように体内に溜まっていた熱流を、ぐいと引き出してくれた方々に心から深く感謝しています。海外滞在中に何度もファクスを通じて小田慶郎さんとは、書名について、ああでもないこうでもないと提案しあい、足かけ一カ月(!)ほどかかって結局、メインタイトルを小田さんがつけてくれ、サブタイトルだけは私の案が通った(ほっ)。
 私が本書で具現化したかったのは、今まで思い込まされてきた、あるいは思い込んできたことに対して、それはどうも違っているのではないか、と提起することであった。生前の斎藤茂男さん(元・共同通信記者)は、「それこそがジャーナリズムの仕事だ」といっておられた。私は、教育や法律や行政やメディアや科学その他の専門家たちが、いつの間にか横暴かつ視野狭窄になり、生身の人間が見えなくなってきていることを、本書で指摘した。狭い専門ナワバリ(縄張り)ズムに拘泥してしまうと、独善性と既得権確保のために、一方で威圧的になり、他方で自己防衛的になる。
 簡単にいえば「やつら」は、偉いと見なされているものや組織に媚び、生身の人々を無視する。独善系に特徴的なことは、二重規範(ダブルスタンダード)である。自分たちの保身イデオロギーと体面を守るときだけ「人権」を振りかざし、他者や死者の人権を貶める。自分でできもしない理屈と行動を、他人に強いる。「謝って済む問題ではない」と落ちた企業や人を死の淵まで追い込む記者たちが、誤報や失礼を繰り返しても謝りさえしない。
 どうでもいいことだが、私は、いつも自分のほうがヘンなのではないか、という懐疑から出発する。その懐疑を手離したら終わりだと思っている。それでも、長い熟考と取材の結果、やっぱり「やつらがヘンだ!」と確信できたものだけを本書に記した。先ほども申し上げたとおり、私は若い人や強くない人たちに「やつら」などという言葉は絶対に使わない。
 最後にもう一つ。
 文章には、というか、お代を払ってもらう書物には、いくつかの理想があると思う。書き手の自己懐疑に裏打ちされた読み手への説得力と、しばしば行間から洩れ出る涙と怒りと笑いである。
 そういうことが、できたらいいなあ。

二〇〇〇年 盛夏
                                日 垣  隆

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