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電子書籍版 いのちを守る安全学

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環境リスク評価の第一人者中西準子氏や、失敗学の提唱者畑中洋太郎氏、被災地での住民調査を通して災害報道を考え続け「帰宅難民」問題にいち早く取り組んできた廣井脩氏(故人)との対談集。この非常事態の中で過小評価せず、闇雲に怖がらず合理的なリスク評価をするための一助に。

定価:570円 → 450円 特別割引実施中!


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目次

第一講 犯罪被害者になった時......小西聖子氏(武蔵野女子大学)
第二講 災害報道は何を伝えたか......廣井脩氏(東京大学)
第三講 化学物質との正しいつきあい方...... 中西準子氏(横浜国立大学)
第四講 失敗に学ぶ...... 畑村洋太郎氏(東京大学)

■立ち読み■

第一講 犯罪被害者になった時  より一部を抜粋

ゲスト 小西聖子氏=武蔵野女子大学教授

(前略)
有村アナウンサー 加害者のことを被害者が理解する必要はないと思うのですが、その理解ができなくなっていく、距離が広くなるっていうのはあるのでしょうね。
日垣隆 刑事裁判から被害者は締め出されているっていう話が先ほどありましたが、たまたま地裁へ傍聴に行った帰りの廊下で、加害者側の弁護士と、追及する側の検事がニコニコしながら雑談をしていたとか、それ自体は何でもないことなのだけれども、遺族から見たら、それもたまらなかったり、あるいは加害者が成人して、成人式に出たっていうことを聞き及んだだけでも、ものすごく傷ついたりする場合もある。そもそも、子どもを喪った親たちは、楽しむことに非常に抵抗感をもたれる方が多いですね。
小西聖子 楽しんではいけないと思ってしまうのですね。子どもがこんなふうな死に方をして、今はもういないのに、私だけが楽しむなんて許されないって......。さっき日垣さんがおっしゃった自責感とつながってくるのですけれど、殺されてしまったのは、私たち親にも責任があるのだからと自分を責め、例えば自分は布団で寝る資格なんかないって思っている方もいます。旅行なんかに行く資格なんてないんだとか、おいしいものを楽しんで食べるなんて許されないと考えておられたり。
日垣 うちの母親もそうでした。私の弟が、蒲団の上ではなく、コンクリートに頭を打たれて殺されたことを思うと、そういう感情が湧き出てしまうのでしょう。旅行なんて、とても生き残った家族だけで出かけられないと思っている人たちも、たくさんいます。私は、そういう感情に縛られたくなくて、正反対の人生を送りましたが(苦笑)。時間が癒すっていう言い方もあるけど、要するに、家族の突然の死さえ今の自分をつくってくれた財産なんだっていう突き放し方ができたとき、初めて立ち直ったといえるのかもしれない。
有村アナ 世間的には何ということもない日常的な楽しみ、ゆっくり蒲団の上で寝たり、のんびりお風呂に入ったり、そういうことをするときにさえ自責感が沸いてきてしまうというのは、本当に苦しい状態にあるのですね。
日垣 報道による被害っていうのも結構あります。
小西 そうですね。もちろん、加害者のことばっかり擁護して、被害者のことは非常に冷たく扱うとか、そういうことにも傷つきますけれど、もう少し踏み込んでいうと、例えば最初はすごく被害者のことを重視して扱っていたのに、ちょっとでも被害者のほうに責任があるようなことがわかると、手の平を返したようになる。マスコミって、何ていうのかな、どっちかが正しくて、どっちかが悪い人っていうことでしか事件を見ない傾向があるんですね。でも普段、正しい人か、悪い人かっていうことは、問題じゃないはずです。
学生1□自業自得による殺人っていうのは意外に多いのですか。
日垣 そんなものは、ありません。
小西 うん、ないです。たとえ、殺意を誘発するどんなひどいことがあったとしても、相手を殺していいということにはならないでしょう。
日垣 喧嘩両成敗とか、挑発したほうも悪いという言い方もよくありますが、喧嘩したり挑発することと、殺されることとは全く別次元です。でも残念なことに、あの殺人の犠牲者は自業自得だった、といわんばかりの報道って結構あるんだよね。背景を探ることと、その殺人を正当化することとは、もう全然違うってことがわかっていないのかなあ。
小西 正義の味方になって報道している感じの文章っていうのは、どっちにしても被害者のことを本当にはわかっていないんじゃないか、という感じがしますね。
日垣 家族を喪った人たちに話を聞いてみると、味方であるはずの親戚に傷つけらたっていう話も、よくあります。
小西 多いですね。
日垣 いじめ自殺でさえ、それはもう悲しいくらいに親は心のなかで自分を責めているのに、なんで早く転校させなかったんだとか。一方的かつ悪質な飲酒運転による犠牲だったとしても、なぜそんなに夜遅く外に出ることを許したんだとか。十八、九歳になって夜十時くらいに外にいるっていうこと自体は何ともない(轢き殺されていいという理由になるわけがない)のに、それを親戚が責めてしまう、親をね。止めてあげていればとか、子育てが悪いんじゃないかとか。そういうことを平気で親戚がいったりする。「また子どもをつくればいいじゃないか」なんて、ほんとひどい、悪質な傷害罪だ(苦笑)。
小西 やっぱり、それは近い分だけ遠慮がなくて主観的には助けてあげているつもりで、でも結果的に二次被害を与えているのですね。だから、積極的に寄り添うっていうより、まずその二次被害をよくわかって、それをなくすということが先なのではないかな。
有村アナ そういうことをしてしまう親戚の人も、善意にとれば、何かアドバイスしてあげようみたいな気持ちだと思うのですが。
小西 それは、たぶんそうですよ。あまりにも深刻で具合が悪そうだから、いつまでもそんなに沈んでいちゃいかんとか、ちょっとハッパかけてみようとか、そういうふうに善意でやっているのだと思います。まあ、それだけじゃなくて、親戚の関係っていってもいろいろあるから、一言じゃ決められませんけど。
有村アナ 身近な人が苦しんでいるという、そういう姿を見たときに、第三者としての意見をいうよりも、もっと他にすべきことがあるのかなぁって......。
小西 たぶん、そういう人の横に行くと、自分も苦しくなるから、どうやって励ましていいのかわからないっていうのがあって、つい余計な一言をいっちゃうってこともあると思いますね。わざわざ意見をいうっていう感じではないですよ。実際の場面では例えば、お葬式の電話をしなくゃいけないとか、来週法事があるから電話しなくちゃいけないとかのために、親戚が電話をしたときなんかに、「一年もたったのに、何いってるの」とか、そういう感じで出てくるのね。だからある意味では、ごく自然に、それからあまり相手がいつまでも元気がないから、ついイライラしていっちゃったりとか、そういうようなことが反映されてしまうんだと思います。
学生2 そういう哀しい事件に遭ってしまった人が周囲にいたとしたら、どんなふうに接してあげたらいいのでしょう。

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