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第608-1号(8月10日)

■目次■


□今週のコメント(1)
 ◆全体予測と個別判断
□今週のコメント(2)
 ◆無知な議論 v.s.独自思考





■■読まれる社説■■ 緊急臨時増刊号

★法治国家をめざせ!ーー敢えて「麻原死刑」異論★━━━━━━━━★


 死刑判決確定後(ここまでは3権のうち司法権)、拘禁と執行は法務省(行政権)に移る。刑訴法第475条では、第1項「死刑の執行は、法務大臣による」とし、第2項で「前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない」と明文化されているのはご存知のとおり、かな?
 麻原の死刑判決が確定したのは約12年前(2006年9月15日)であるから、明らかに法律違反である。このあたりの問題点については、法律家(解釈学者)やコメンテーターも指摘してみせたことだろう。逆にいえば、ここが日本の言論の限界点ーー。
 死刑残置派が日本の圧倒的多数派の世論であることとは別に(予告ばかりですまぬが、死刑廃止議員連盟会長=亀井静香氏、昨年引退=を完全論破した私との対論はお待ちを)、残置ではなく、死刑廃止のみが法改正の名に値する。だから、この条文自体に問題はない。
 いま私はカリフォルニア州に来ている(1日だけおいてネバダ州に滞在する)から余計強烈に実感することは、この両州を含めて死刑は「被害者遺族による報復の権利」と明確に認めている点だ。
 ちなみにカリフォルニアでは医療麻薬(マリファナ)を合法的に処方してもらい全身の激痛を滞米中だけでも柔らげるため、以前にも書いたことだが全米のなかで飛び抜けて多い私の滞在州はネバダである。
 我が家の3歳児には「明日からどこに行くの?」と聞かれたので、「アメリカだよ。カリフォルニアとネバダ!」と煙に巻いたのに、「うちのパパはよく韓国で働いてたくさん札束もって帰るんだ」と如何にも誤解されがちな保育園に翌朝到着するなり保母さんたちに、「今日からパパはラスベガスに行って札束もってくる!」といったそうな。利発なのか、子の母がチクったのか?
 3歳児のなかでネバダ州はともかく、ラスベガスはどうイメージされているのだろう。IR型リゾートのメッカであり、世界大恐慌への最大の対策としての「フーバーダム建設」に当たった労働者の憩いの場としてカジノ(正しくはカシーノ)を、インディアン部族のみに経営認可された歴史などは、大方もう忘れられているのだろう。様々なコンサートやショー、世界的な学会やボクシングのビッグタイトル戦などなどが毎日何十も実施されるラスベガスは、マネーロンダリングや違法蓄財のほうが上回るマカオより、きわめて健全なのだ。
 マカオがマネロンの拠点になった法的根拠は「新聞紙法」にある。中国本土から香港を経てマカオに運ばれる新聞紙ーーおよそ紙のすべてーーつまり紙幣もノーチェック(ワイロは当然)ーーという次第。私もトラックいっぱいの札束を見せてもらったことがある。びっくり。こんな原始的なのか。


 法務省は本日(2018年7月6日)オウム真理教トップの麻原彰晃(松本智津夫)らに対する死刑を執行した、と発表した。テレビその他のメディアは大騒ぎしているのは疑いない。
 米国の死刑残置州では(多数派)、死刑実行時に観客席が用意される。文化の違いとはいえ、すごいことだ。日本人の圧倒的多数は、憎むべき死刑囚の執行場面を目の前で見たい、そして復讐達成の安堵を完結させたい、とは思わない。
 麻原を始めとするオウム幹部の死刑執行は、判決確定後の法が守られてはいないことを除けば、また「死刑そのものに反対」をここでは論外とすれば、麻原を生かせ、とは聞かない。私もそんなことは望みもしないが、法治国家になってほしい、とは強く願う。


 長い裁判のなかで、8人の精神鑑定が行なわれた。私とも学会や対談などで顔を合わせてきた7人は全員「心身喪失(耗弱)」の結論に達し、裁判所は世論優先なので、「心身喪失(耗弱)とは断定できぬ」超少数派の鑑定のみを採用した。
 誰に頼めばどんな結論になるか、分かるのだよ、この分野を詳しく知る者として断言しておく。
『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社、新潮文庫)の著者としては、7人の"定説"とは真っ向から異なってきたものの、互いの理解と真摯さは一度も失わなかった。法治国家になるためには、私は(刑法第39条のうち、非の打ち所がないない第1項)心身喪失のみ生かし、(第2項の、諸悪の根源たる、あいまいな)心神耗弱を廃止するよう私(だけ)は論陣を張ってきた。結果的に『そしてーー』刊行以降は、たまたま心身喪失が日本人の多くが知るところとなっただけでなく、刑法第39条のいかがわしさにも気づいてくれる人たちが桁違いに増えたのは諸々のデータに明らかだ。
 が、『そしてーー』のなかでも明記されていたのに専門家にも忘れられた感が強い(泣)、刑訴法(刑事訴訟法)における心身喪失規定は、麻原死刑執行には実は大きな「法治国家問題」が凝縮されている。


 麻原が幹部たちにサリンなどによるテロ実行を命じた証拠は裁判でも一切、提出されなかった。
 現首相の違法の濃厚な疑いも、結局のところ忖度(そんたく)を度外視することができないのと構造(だけ)は似ている。マフィアや暴力団などのトップに対する部下の犯罪は、往々にして忖度によることが多い。部下どもをいくらしょっ引いても詮方ないゆえ、英米法の国々では司法取引、また大陸法の国々でも相応の駆け引きが常識的に行なわれている。
 日本でのみ、翻訳不要な「共同共謀正犯」が大手を振ってまかりとおっていきた。実行には参加しなかったが計画には参加した疑いーー簡単にいえば、トップに対する忖度で部下たちが動いた、要するにヤクザの論理だ。
 私はこの機会に、法的にいかがわしすぎる共同共謀正犯なる「証拠なし」を押し通すのをやめにして、立証徹底主義のもとに、部下たちと検察との司法取引を立法化すべきときだと確信する。


 そしてまた、裁判中の麻原はめちゃくちゃな英語でブツブツつぶやくなどは知れ渡ったけれども、拘置関係者が例外なく「あいつは完全にイカレている!」と断じる麻原は、感情的には早く殺せとは思うものの、最低12年近くもキチガイを演じ続けることはできない。法務省も透明化をまったくしなかった。できなかった、というべきだろう。
 死刑囚だった麻原彰晃が心身喪失でなければ誰が心神喪失か、というレベルに達していたからだ。刑法第39条だけでなく、死刑の恐怖を条件とすべく刑訴法479条では心身喪失は死刑禁止条項だということを、誰も指摘しない日本という国は「美しい」のか?


 《第479条
 1 死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によって執行を停止する。
 2 (略)
 3 前2項の規定により死刑の執行を停止した場合には、心神喪失の状態が回復した後(略)に法務大臣の命令がなければ、執行することはできない。》


 死刑の執行は、寛大さからではなく、死刑の恐怖を感じない状態にあるうちは執行を停止し、恐怖に恐れおののく心理状態にしてから死刑にせよ、と刑訴法は明確に宣言しているのだ。
 刑法第39条の乱発は消えたが、刑訴法の死刑執行条項は国民からもメディアからもシカトされてきた。
 私は、いいたい。
 刑法第39条第2項の削除とともに、刑訴法第479条は廃止をするほかない、とーー。
 被害者遺族の保障がロクにないのに、極悪人どもを国の巨額の税金で、違法に長く生かしておくことは断じて近代法治国家とはいえないからである。
 この機会に、司法取引の導入とともに、ぜひ考えていただきたいーー。

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