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現代用語の世代間ギャップと教養

SMAPでは木村拓哉さんを除いて独立がカウントダウンであったのに、ジャニー喜多川社長に謝れ、テレビ局に謝れ、ファンに謝れ、ジャニーズ事務所の女帝に謝れ――という恫喝の連鎖に見られるような、独裁を遙かに超えた事態が続いている。

 ゲッベルス(ナチスの宣伝相)やスターリン(この名前を知らない若い世代は少なくないとは思うけれども、もはや教養の問題であるので、敢えて解説はしない。「ガッキィファイター」の読者には改めて安堵する)を彷彿(ほうふつ)させる。SMAPに起きていることが北朝鮮王朝とソックリであることは、日本の小学生でも賢明な児童なら気づいているはずだ。

 かつてSMAPは6人であった。この事実を隠蔽せず、森且之さんをメンバーから消し去った問題と、今まさに起きていることを関連させて述べるかどうかは、マスコミを判断する貴重なメルクマールになっている。

 私がSMAPについて最初に真正面から触れたのは、1995年10月3日(執筆は9月27日)の「エコノミスト」の巻頭連載においてであった。決して早いわけではないとしても、26人いた毎日新聞社内の「エコノミスト」編集部全員が、SMAPを知らなかったのであってみれば、いい所をついていたと思う。知る人ぞ知るSMAP――というより、メンバー各個人のほうが、まさに知る人ぞ知る時期であった。当時のコラムを、懐かしい想いで再掲してみよう。

《SMAPというメディア

 ジャニーズ事務所のアイドルはデビュー後に新曲を出せば軒並み一位が二年は続く、というパターンがあった。だが、SMAPは相当に違っている。
 テレビや週刊誌のでの登場回数も断トツ、少女たちの口コミ頻度も群を抜いている、という現象だけなら従来だってあった。これまでのパターンでは、グループの人気が峠を越えてから個人の生存競争が始まったのだが、SMAPは最初から個人の顔を売った。従来の微分型に対してSMAPは積分型と言える。

 森はドラマ「かあちゃんと息子」、剛はアニメ「姫ちゃんのリボン」の声、中居は「アイドル・オン・ステージ」の司会、吾郎はアメリカ映画「プライベート・レッスン」といった具合。木村が日生劇場の舞台「盲導犬」で評価を得るのは八九年のことだから、SMAPは結成二年目とはいえ、まだCDデビューを果たしていない時のことだ。
 この現象はジャニーズの戦略や忍耐強さだけでは説明がつかない。やや気恥ずかしい仮説だが、メンバーそれぞれが現代のライバル群像として中高生の目には映っていると思える。SMAPが登場した時期に音楽番組が消えていたという事情も大きい。音楽番組の隆盛時代――これは政治でいえば五五年体制と重なる――には音楽よりアニメを優先させることなどありえなかった。微分時代には人気番組に出ることがアイドルの常道だったのに、積分時代のSMAPは、先月「24時間テレビ」のパーソナリティをやったら歴代二位の視聴率を記録、というように、彼ら自身がメディアになっている。》

(「敢闘言1995年10月3日、『敢闘言』太田出版、のちに文春文庫に収録。)
 書籍=http://bit.ly/23g6afX
 電子書籍=http://bit.ly/1OHnIIh

 このSMAP論は、いわゆる大人たちがほとんど知らぬ時期のものであり、だからこそ、このときに書く意味があった。今でも、読むに値する......おっと、脳梗塞患者は素直すぎる面もあるので、みなさんも注意してください。

 今年の大学入試センター試験が1月17日に終わった。「国語」(200点満点)の第2問に私は注目した。SMAPのCDデビューからジャスト25年のときを経て、「若者」の像は異なってくる。

(後略・・・・・・ 続きをお読みになりたい方はメールマガジンをお申し込みください)

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