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結局は死と珍しさ――大義名分に覆われた真相

 認知症男性(当時91歳)が徘徊していて列車に跳ねられ死亡した事故では、JR東海は遺族に哀悼の意を表すのではなく、元お役人と革マル派残党の伝統を遺憾なく発揮して、「ボケ老人を家に縛りつけておかなかった科(とが)」で要介護1の妻(93歳)と、同居も全くしていない長男(65歳)らに、な、な、なんと約720万円を運行遅延料として請求して負けた。JR東海の法務と経営トップは馘首(かくしゅ)にあたいする。

 犠牲となった男性の遺族を苦しめ、もともとは国民の財産であった国鉄を私物にかえて株式会社にした新左翼系のJR東海は、720万円を取れなかったどころか、リスク管理のクズとして720億円の損失――といってもよいくらいのミスを連打した。裁判前にかたをつけておく事案と判断すべきなのだよ。

 革マル派の力は東日本が主力で東海はさほど、とかのディテールはどうでもいい。最高裁が示した「総合的判断」も、実は同じ程度にどうでもよいことなのだ。

 まず、一審も二審も「総合的判断」はしていた。あたりまえである。理屈は、どうにでもつけられるのだ。
 誰もいわないので、ここで明言しておく。認知症の男性は天に召されたが、被害者はいなかった。それだけのことなのだ。14人の乗客が亡くなっていたら、諸々の理屈は覆(くつがえ)る。

 14人の乗客が亡くなり、運転手も帰らぬ人となった軽井沢でのスキーツアーの大型バス転落事故では、そうはゆかない。この事故では本質を見ない報道で溢れてきたので、日を改めて論じることとして、ここでは、全く同じ経過のミスがあっても、転落には至らず一人もケガすらしなかったら、ニュースになったかどうかも怪しい点のみを考慮しよう。ニュースの本質は、死が分水嶺であるとともに、珍しさが大きなポイントになる。だからこそ、多くの国民のメディアリテラシーが反転してしまう。希少なこと、あるいは珍しいことだけがニュースになる。トヨタ車が毎日起こしている死亡事故を中日新聞は報じないのだよね。

 珍しいといえば――。私も昨夏、グーグル本社に遊びにいった際、間違えた、視察をしにいった際ね、グーグル企画開発の自動運転車レクサスに乗った。
 今年の2月29日、グーグル本社が「バスと衝突する事故があった」と、初めての事故を発表している。
 もちろん、日本の大メディアは例外なくこれを報じた。大メディア各社のなかで、社員が複数、自動車事故で人の命を奪っておいて、何の罪にも問われていない――こういう鬼畜の件ではさすがに我が社は例外であると胸を張れる社が一つでもあるのかな?

(後略・・・・・・ 続きをお読みになりたい方はメールマガジンをお申し込みください)

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