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テロリストと難民と賢明なクルド族

 核戦争や無人爆撃機による攻撃も、背後に数百から数千の監視員がいる。極端に言えば、1人でもテロリズムは行動に移せる。そしてまた、テロリズムに反対しつつ無差別殺人は許容する国々の発想と、テロリズムが生涯を通じて第1の価値にある国々や集団とは根底になる思想や伝統が全く異なっていることを私たちは理解するところから出発しなければならない。


 西欧で常識とされていることが、世界の共通となっているわけではないのである。意外に知られていないことかもしれないし、よく知られていることかもしれないが、IS(イラクとシリアのイスラム国)がレバノンやパリなどでテロをたびたび行なった際、それを私を含めて非難する人々と、その行為を絶賛する人々がいるのがこの世界の現実なのだ。


 自分たちが正しいと思うことを押し通すことは、不可能と考えたほうが良い。10分の1にまでなっても、ISがテロリズムを放棄しないのと同じように欧米各国がテロリズムに賛成するのは困難な道なのである。


 ついでながら、いま私は、「レバノン」「パリ」などと書いたけれども、私が知る限り、レバノンで大きなテロを受けたときに、日本のメディアもほとんどが沈黙を守った。パリの時には西欧諸国が一丸となって怒りを爆発させたことはご存じの通りである。
 私が不思議なのは、パリのテロに対する報道や行動ではない。それは当然のことだろうが、パリの前に起きたレバノンでの大きなテロリズムに多くのメディアや多くの西欧諸国は社会差別から無視したのか。いや、社会差別からではなく、レバノンでのテロリストが起きたということが理解できなかったのではないかと私は思う。


 確かに、レバノンのテロは数百人の死傷者を出す大規模なものであった。パリでも約200名の死傷者が出た大惨劇であるのは確かである。ただ、パリでのテロを批判する報道と、レバノンでのテロを批判する報道は1,000対1ぐらいではなかったか。それを社会差別と捉えずに、端的に言えば、「シリアとレバノンは仲間ではないのか」というような知識を持っていればましなほうで、シリアやイラクを出自とする組織がシリアと友好な関係を続けてきて、レバノンでテロを起こした、その意義を理解できなかったのではないか、と思える。


 ご存知のとおり、シリア、イラクの仲は四分五裂している。ISは当然、現シリアやイラクで育ったのだから、ISが西欧諸都市を狙い撃ちするのも、自分らが敵とみなすシリア政府と長い間同じ国のように過ごしてきたレバノンを同じように標的にするのも、彼らの理屈に沿えば当然のことであろう。にもかかわらず、世界の我が陣営は、レバノンについて評論を挟めなかった。


 西欧のメディアや国民がパリなど先進国にテロ攻撃することを許せないと思うのと同様に、ISなどの陣営にとっては、何百回テロをしても欧米陣営のジェノサイドやイスラム(アラー)への冒涜は大きな怒りを越えているのだ。私の意見をいっているのではない。冷静に見て全く異質なものが相手を自分に従わせようとしている限り、悲劇は拡大するばかりであると指摘しておきたいだけだ。


 2015年10月3日に鳩山会館で行った学習会「日本国憲法を3時間で一気に理解する」講演会(私が話通しました)に参加された方はご記憶もあるかと思われるが、シリア国憲法第21条には「祖国のための殉死は、最高の価値であり、国家は法律に基づき遺族に補償を行う」と明記している。もう一度読んでいただきたい。


 例えばシリアという国は、欧米用語で言うところのテロリズムを政府をあげて英雄扱いするだけではなく、自爆テロを実行した者の家族を生涯保障すると憲法で約束している国なのだ。それほど、文明の差は大きい。シリアが壮絶なテロリズムをいかにも自慢げに語っているのは、そう見えているだけではなく、実際に褒めたたえているのである。


 正義や、自己犠牲や戦争などに対しての見方がここまでテロリスト側と欧米側で大きくずれていることは、リアリズムで言えば、今に始まったことではなく、長い間隔たって来たのが実際だ。
 同年8月の3週間で私がシリア周辺を執拗に歩いた時、1年前と比べてもともと大きかったレバノンやトルコ、ヨルダンやイラクのあらゆるところで、シリアの外のほうが大きいのではと思えるほど避難民が激増していた。そこに留まっていれば死を待つのみだから、賢明にも生きるために各国へ逃げる者も大量に出てきた。そこにテロ事件が起こると、受け入れ国の多くで、難民の中にテロリストがかくまわれている危険性を上げ、受け入れを拒否する動きが高まっている。


 気持ちがわからないわけではないが、大量の難民の中に、テロリストが巻き込まれるのは当たり前ではないか。レバノンやパリのテロでもフランスの市民や、レバノン市民が交わっていた。イラク戦争中もCIAがイラクの要所要所に紛れていたのだ。戦争やスパイ的なことでは相手の中に紛れ込むというのは、どの国にとっても常套手段なのである。


 シリアからの難民は、当初は政府から迫害された人達だったが、今では大きく分けて4つのグループをはじめとするテロリストグループに追い出された人達が激増している。難民同士でも殺し合いしかねない。だから、その中に数人か数百人、数千人かは断定できないが、1人のテロリストも入っていないと思う方がどうかしていると思う。


 99.9%の難民が、0.1%の難民ゆえに死を選ばされるのは、欧米の論理で考えてみればよくわかるし(日本は難民を受け入れていないのだから、欧米人は寛大であるし、善処していると思う)、テロリストの側の論理で考えれば、自分たちに敵対する人々が死に直面していくことは彼らの思う壺である。


 私がいいたいのは「どちらが正しいのか」ということではなく、「私は当然西欧側についている」のでもなく、これだけ大きな文明の差が、テロという超少数勢力でも成り立てる行為に出たときに、この組織が小さくなっていくだろうが、類似した過激組織は終わりなく生息する時代に突入したと見なしうるということである。9.11型は、車で突っ込む型に変わったーーどちらが恐ろしいか。後者はほとんど順が要らない。


 マスコミはどうも、ISの勢力はどうかや、信念はどうかに注目してきたが、極端に言えば、バラバラになっても1人でも百人でも1万人でもテロリズムが彼らにとっては起こせる手段であることに変わりがない。


 ここで振り返って、シリアとイラクを通して唯一成功しているのは、国土をもたない世界最大(4千万人)の民族、クルド人である。多大な犠牲を出しながらも、争いもせず、マスコミに注目されることもなく、気づいてみれば(混沌たる)イラクを中心に新国家を建設し、空港を建設し、街を建設した。それは、静かに、確実に、いわゆる日本語で言う漁夫の利のようなかたちで現実に起きたことである。
 そして昨日、世界に建国の名乗りを上げた。イスラエルの暴力と、パレスチナの報復を見てきた者として、クルドは着実であった。多くのクルドを見知ったのは、イラクであったが、「空き家」にいたのはクルド人ばかりであり、すぐにでも「家の所有者」が出てきたら謝り礼をいって出ていく姿勢は一貫していた。


 あらためて思う。


 クルドは、きわめて賢い。本日の独立を、心からお祝いしたい。


 少しはパレスチナもイスラエルも見習ったらいかがかーー。

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