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カタカナ革命の深淵

 中国語でカラオケをどう書くかは、たいていの方はご存知ですよね。たとえ書けなくても、読める漢字は意外に多いものです。

 カラオケは空(から)のオーケストラを略した造語なので、「空オケ」が基本表記となっても不思議ではなかったはずですが、ここで重要なのは、外国語であるオーケストラ(an orchestra、管弦楽団)を異なった意味に変えてでも採り入れて、なおかつしばしば日本語と組み合わせてしまう、カタカナというものの偉大さについてです。

 中国語もハングルもアラビア語もタイ語もドイツ語も英語もセブアナ語その他も、みな外来語を取り入れる際には自国語の母音と子音に当てはめて採り入れるのに対して、日本語は、ひらがな、漢字、カタカナの3種の文字が駆使されます。

 歴史的に見れば、漢字は中国から借り受けてきたものであり、例えば一千年前に書かれた『源氏物語』は、かなだけで書かれていることはご存知のとおりです。
 漢字のみ、漢字とカタカナ、また日本固有の平仮名と漢字の組み合わせにとどまらず、カタカナを日本語の三種の神器にしたことはあらためて画期的なことだったと思うのです。

 すきんしっぷ、はんどばっぐ、せきゅりてぃーちぇっく、すいすじん、えっち。きす。魚みたい。

 どうですか?
 外来語をひらがなで使うことによる幾つかの事例を見ただけで、カタカナの偉大さが実感されますよね。
 このカタカナという様式に日本語の使い手たちは感謝しきれないほどなのですが、ここでは敢えて、カタカナを巡る問題点について考えてみたいと思います。

 カタカナをとおして余りにも多くの外来語を摂取してきたために、いつものまにか和製外来語もどんどん増えてしまい、それらを本気で外国語だと思ってしまう事例にもこと欠きません。
 例えばMansion(マンション)は、英語で豪邸を意味します。世界標準ではCondominium(コンドミニアム)と言うべきところでしょう。
 日本語の世界では、豪邸と、一戸建てと、マンションと、アパートとは、微妙に、というかかなり明確に別のイメージとして想起されているはずです。

 大きな会場で「いよいよパネラー(paneler)の皆様(s)のご登場です」と司会者が日本語とともに、外国人参加者のため英語でもアナウンスしたとすれば、英語で理解した人は「なぜ板張り職人ばかりが登壇するのか」と目をむいてしまうに違いありません(panelists なら通じます)。

 かつて三島由紀夫が「バチルス」と書いているのを初めて目にしたとき(『欄陵王』)、私はしばらく意味が取れませんでした。

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