ID:

パスワード:

前の記事| |次の記事

3月11日――あの日から1年 new.png

120311_160.jpg 大震災発生後1周年の2012年3月11日に現地を訪ね、被災者の話を聴いた記録に加え、得難い1日の記録。
震災直後から取材し続けた現地の当時の様子、復興しつつある現在の様子、スマトラ沖地震の被災地の現在、チェルノブイリの現在の写真など写真を多数掲載。

定価:500円 → 350円(税別) 


目次

第1部 東日本大震災 1年目の爪痕巡礼

瓦礫撤去中に続々と発見された遺体
それぞれの3月11日
液状化現象で浦安の不動産業が大打撃
火力発電や水力発電ならば安全と言えるのか
死者数を1ケタまで記録する日本
仕事が遅い自治体は非難に値するのか
「福島で甲状腺がんが激増」というデマ
石巻市立大川小学校の教員は間違っていたのか
菅直人総理の福島第一原発視察は正しかった
放射能は目に見える
副作用ゼロのクスリなどない

第2部 東日本大震災 各県の被災者の声を聞

「フロー」と「ストック」
原発事故をきっかけに起業を決意
危険な場所ばかり選ぶ「国境なき医師団」
前年比70%の減収からリベンジを果たす
立ち直る人と立ち直れない人
「津波てんでんこ」で逃げた大船渡の人たち
貧乏ならばダブルワーク、トリプルワークで働けばいい
お上に頼らず自力で仮設商店街を復活
破産するか、自殺するか、あきらめないか
役所への期待値は最初から下げておく
最初からストーリーありきのマスコミ報道



立ち読み

金野:三陸地域に住んでいる人は、皆さん津波のおそろしさについて話には聞いたことがあります。でも、実際の津波をはっきり見たことがある人はいません。

 1960年のチリ地震津波や1933年(昭和8年)の昭和三陸地震の津波は、いずれも夜にやって来ました。津波をきちんと見たことがある人は、高齢者であっても三陸地方にはいないのです。「人さえ死ななければ、いつか津波を見てみたい」という気持ちを私はもっていました。

日垣:「人さえ死ななければ」という条件つきで津波を見てみたいと思うのは、自然な感情だと思います。
 金野さんに大船渡を案内してもらったときに「ここに駅舎があって、ここに交番があって......」と説明を受けながら、線路や建物の面影はまったくありませんでした。最初は金野さんが何を言っているのかと思いましたが、そのくらいひどい津波に遭ったわけです。犠牲者が多かった陸前高田市や大槌町(おおつちちょう)と比べて、大船渡の被災状況がメディアに取り上げられることはそれほどありません。
 3月11日の震災では、大船渡には莫大な数の死者は出ませんでした。ということは、生き残った人が多かったのですよね。

金野:津波が来たときには、蜘蛛(くも)の子を散らすように「津波てんでんこ」でそれぞれが逃げました。チリ地震の教訓があったからです。

日垣:大船渡市は、瓦礫処理も迅速に進みました。自立した商店街の組合が行政よりもスピーディに動き、ただちに屋台村を作り上げています。しかも、その屋台村の売上は、本店舗があった前年より伸びてしまったのだとか。こういう元気な町には、もっとスポットライトが当たってもいいと思います。

金野:大船渡市の人口は約4万人、震災による死者・行方不明者は約500人です。リアス式海岸の町では、どの商店街も平らな場所は流されています。陸前高田市よりも、大船渡市の流出家屋のほうが多いのです。チリ地震の教訓があったおかげで、家の心配をする前に人々は津波から真っ先に逃げました。

日垣:世界的に見て、津波災害について最も勉強になる町だと思います。

金野:マスコミの人には、大船渡のことをもっと褒(ほ)めてほしいです(笑)。

日垣:大船渡では『津波はいつかまた来る』(村田プリントサービス)という資料が防災教育に生かされています。写真を撮影したカメラマンの村田さんは、自宅を流されてしまいました。村田さんには「動くものを撮らせたら自分の腕はピカイチだ」という自負があり、プロとして津波を撮りたかったと話していたのが印象的です。


<ご注意事項>
(1)この商品は電子ファイル(PDF)です。
(2)たいへん恐縮ですが、この画面から本商品をお買い求め頂く場合には、クレジットカードでのお支払いのみの受付とさせていただきます。
(3)クレジットカードで決済完了されると電子書籍(PDFファイル)をダウンロードできるURLをメールにてお知らせいたします。
(4)買い物かごはクイックチャージシステムを導入。一度IDを登録すると、次回からカード番号、ご住所のご入力がいりません。 ワンクリックでお買い上げいただけます。

前の記事| |次の記事

 

ページ先頭に戻るトップページに戻る