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ゲバラ3ペソ紙幣  最後の社会主義国キューバで見たもの(2)

最初に、私たち(今回キューバには4人で行きました)に声をかけてきたのは49歳の管理職です。何世紀も前の部屋が、そこにはたくさんあり、たまたまその遺跡の一室を通りがかった私とMさんに、彼は片隅の椅子から立ち上がって近づき――他の観光客がいないことを見計らって――「3ペソ札」を示しながら「1ダラ(ドル)と交換して」と言いました。

 私は、以前から、この3ペソ紙幣を1枚だけ持っていました。
 考えてみてください。「3」がつく紙幣やコインは、世界的にはとても珍しいでしょう。言い方を変えれば「使えない!」。日本の2千円札も思い通りには流通しがたかったわけですが、それでも世界的には「2」のつくお札やコインは結構あります。が、「3」は、めったにない。

 毛沢東や金日成やフセインらと異なって、カストロは自らのアイコン化(個人崇拝)を禁じてきたとされてきましたが、早くに亡くなったチェ・ゲバラのアイコンはずいぶん前から「あり」です。
 しかし、革命直後の国立銀行総裁でもあったゲバラの肖像画つき3ペソ札は本当に入手しづらく、思わず私はつぶやきました。
 チェッ。

 すみません。話を前に進めます。
 49歳の男性管理職は要するに、3ペソ札と1ドル札(1兌換券=24ペソ)を交換してくれと言っているわけですね。毎月20日勤務し、3ペソ紙幣を集めるのに1枚につき1ペソの手数料を払っているとして、1日に2枚この交換を成立させれば、20ペソ×2枚×20日で800ペソの儲けです。これで給料が3倍になります。

 私はもちろん、その話に乗りました。
 先方はそれで満足したわけですが、私は満足していません。どうやったら、もっとたくさん彼から3ペソ紙幣を巻き上げられるか。いや、交換してもらえるか。
 絶対、彼にはストックがあるはずです。毎日2枚ずつ3ペソ紙幣を集めてくるより、数十枚程度を常にストックしておくのが道理でしょう。

 すぐに方法が思い浮かばなかったので、別の部屋に移動しました。すると今度は、私が一人になったところを見計らって42歳の女性が「足のマッサージをしないか」と言ってきました。世界遺産の建物の中でマッサージ?
 何かの聞き間違いかと思いつつ、そのお誘い(というよりそのような公然たる副業)にとても興味があったので、同行していたSさんやOさんやMさんを呼びに行き、「この奥の部屋で足つぼマッサージをしてくれるらしい」と私は言いました。

 ところがどっこい、4人で行ったところ、先ほどの42歳はごく普通のガイドしかしようとしないのです。さっき、2ドルでマッサージしてくれる、って言ったよね?

 大量にある各部屋には、係の人が最低一人はいるのですが、「いろいろなことが起きる」のは客が一人になったときだ、という強い傾向があるようなので、そのあと私は意識的に「一人になる」ようにしてみました。
 来るわ来るわ。
 次々と「特別サービスの提案」や「うちの子のミルク代をくれ」という声が押し寄せました。

 私は、他人や同行者の視線がないところでは気前がよくなるので、それなりのことをしたあと、「ゲバラ紙幣」の49歳管理職を探しました。
 今度は彼に5ドルを差し出し、これでゲバラ紙幣をちょうだい、とジェスチャーで伝えたところ、もちろん相手は喜んで交換してくれます。これを繰り返し、彼が備蓄していた42枚のゲバラ紙幣を全部いただきました。
 Win-Winであります。

 12年前にハバナを訪れた際、私は同じものを苦労して1枚だけ手に入れたのでした。そのとき入手経費として70ドルもかけてしまいましたので、これがたった1ドルと交換で手に入るのは安いものです。飛行機代など全経費は110 万円ほどかかっていますが(笑)。

 小説家の浅田次郎さんによれば、「それを手に入れるために幾らかかったか」をトータルに計算できない奴はギャンブルをやる資格がない、ということですが、これはギャンブルではなく、ただのお土産(みやげ)です。

 別の日に、キューバに住む通訳の方に50ドルを渡して、世界遺産のときの同じ交換レートでいいので、3ペソ紙幣を集めてくれないかと頼みましたところ、早くも翌朝50枚がホテルに届けられていました。それ以外にも、個人的に5枚を集めました。
 お願いしておいてなんですが、こういうことをすると本格的にゲバラ紙幣が観光資源になってゆくのでしょうね。

                 *

 さて、キューバの現代史をひもとけば、カストロやゲバラたちは「たまたま革命が成功しちゃった」ことがよくわかります。

 あれから半世紀。キューバ革命は、どこにも輸出できませんでした。そもそもカストロやゲバラは、マルクスもろくに読んでいません。革命後に熟読したのは、レーニンの『国家と革命』くらいなものだったようです。

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