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マックス・ウェーバー『職業としての学問』の巻

Max Weber(マックス・ウェーバー、1864年〜1920年):ハイデルベルク大学
卒。その後、ベルリン大学でギールケやトライチュケらを聴講。1893年ベルリ
ン大学教授、94年フライブルク大学教授。97年ハイデルベルク大学教授、1903
年名誉教授。以降、在野の研究者として「社会科学・社会政策雑誌」の編集に
携わり、同誌に重要論文を掲載。1918年ウィーン大学、19年ミュンヘン大学教
授。行動に対する情熱を持ち政界でも活躍。科学の没価値性と理想型概念構成
を主張し、主観的意味をもった行動の理解社会学を建設。近代資本主義の成立
とプロテスタンティズムの関連を解明。また、西欧文化と近代社会を貫く原理
を「合理主義」に求め、その系譜・本質・帰結を解明し、マルクスと並んで社
会科学者に大きな影響を与えた。著書に『社会科学方法論』(1904年)、『プロ
テスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(04〜05年)、『世界宗教と経済倫
理』(15〜20年)、『職業としての学問』(19年)、『職業としての政治』(19
年)、『経済と社会』(22年)など。1920年、56歳で没。下記引用は『職業とし
ての学問』(岩波文庫)によった。


《こんにちこの職業にたずさわるものの客観的境遇にとってはともかく、その
主観的態度にとって決定的なことは、なによりもまず学問がいまやかつてみら
れなかったほどの専門化の過程に差しかかっており、かつこの傾向は今後も
ずっと続くであろうという事実である。こんにちなにか実際に学問上の仕事を
完成したという誇りは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ得ら
れるのである。これはたんに外的条件としてそうであるばかりではない。心構
えのうえからいってもそうなのである。われわれも時折やることだが、およそ
隣接領域の縄張りを侵すような仕事には、一種のあきらめが必要である。》
(同書、邦訳P21)


《近ごろの若い人たちは、学問がまるで実験室か統計作成室で取り扱う計算問
題になってしまったかのように考える。ちょうど「工場で」なにかを製造する
ときのように、学問というものは、もはや「全心」を傾ける必要はなく、たん
に機械的に頭をはたらかすだけでやっていけるものになってしまったかのよう
にかれらは考えるのである。だが、ここで注意すべきことは、こうした人たち
の大部分が、工場とかまた実験室でどのようなことがおこなわれているかにつ
いてなにも知らないということである。実験室でもまた工場でも、なにか有意
義な結果を出すためには、いつもある――しかもその場に適した――思いつき
を必要とするのである。》(P23)

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