ID:

パスワード:

前の記事| |次の記事

W・リップマン『世論』の巻

■ウォルター・リップマン(Walter Lippmann、1889年〜1974年、享年85歳)
:1912年、「ニュー・リパブリック」誌を創刊するのに協力、17年まで副編集
長を務める。第1次大戦中は国防長官補佐官により、講和会議の準備に参画。
23年、「ニューヨーク・ワールド」紙に入り、29〜31年編集長。31〜62年、
「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙の特別寄稿で名声を得る。政治
評論家として次第に保守的傾向を示し、その社会・政治分析は柔軟で説得力に
富んだ。58年、評論家としての長いキャリアに対してピュリッツァー賞特別賞、
62年ソ連のフルシチョフ首相とのインタヴューなどで再びピュリッツァー賞。
主な著書に『世論』(1922年)、『冷たい戦争』(47年)、『共産世界とわれ
らの世界』(59年)、『ロシアとの来たるべき試練』(61年)など。下記に引用
する『世論』(22年)は、岩波文庫版(上・下)によった。


《どんな分野であれ、われわれが専門家になるということは、われわれが発見
する要素の数をふやすことであり、それに加えて、あらかじめ期待していたも
のを無視する習慣をつけることである。》(上、P158)


《もし彼が気にしている環境がたまたま洗練された上流社会の集団であれば、
彼はそれにふさわしいと思う人格を模倣するであろう。その人格は彼の立居振
舞い、会話、話題の選択、嗜好、を場合に応じて調整する作用をする。人生の
喜劇の多くはここにある。人びとが自分と異質の状況に対応するとき、自分の
性格をどのように想定するかにある。興行主に囲まれた教授、ポーカーゲーム
に加わった司祭、田舎に来た都会者、本物のダイヤモンドに混じった人造ダイ
ヤのように。》(上、P234〜P235)


《アメリカ国民は自分たちの憲法が民主主義の道具であると思うようになり、
そのように扱った。そうしたフィクションが成立したのはトマス・ジェファソ
ンの勝利のせいであり、大きなフィクションとしてこれまでずっと温存されて
きたのである。もしすべての人たちがずっとこの憲法をその起草者たちと同じ
ように考えてきたならば、この憲法は暴力的にくつがえされていたであろう。
なぜなら、この憲法への忠誠と民主主義への忠誠は両立しがたいものに思えた
だろうからである。〔中略〕

 この革命〔第7代大統領ジャクソンが断行した革命〕の政治的中心問題は官
職任免権であった。政権を樹立した側の人びとは官職を資産の一種と考えてい
た。〔中略〕しかし民主主義理論はその重要原則の一つとして、市民は万能で
あるという理論を含んでいた。したがって、人びとが憲法を民主主義の一つの
道具とみなしはじめると、官職にいつまでも居座ることは非民主的であるよう
に思われた。人間本来の野心がその時代の大きな道徳的衝動とここで合致した
のである。》(下、P124〜P125)


《どんなに賢明かつ勤勉な議員であっても、自分が票を投じる諸法案を片端か
ら理解しようというのは無理である。彼にできることはせいぜい二、三の法案
を専門にすることであって、そのほかの法案については誰かの言葉を鵜飲みに
するしかない。》(下、P133)


《読者に届けられる新聞は、ひと通りの選択がすべて終ったその結果である。
どんな項目を印刷するのか、それをどの場所に印刷するのか、それぞれがどれ
ほどのスペースを占めるようにするか、それぞれがどんな点を強調するか。こ
のような選択にあたって客観的な基準といったものはない。あるのは慣例であ
る。》(下、P209)


《表面上似ているものを、分離し、相違点に注目し、その多様性を識別する力
は精神の明晰さにある。》(上、P99)

前の記事| |次の記事

 

ページ先頭に戻るトップページに戻る