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イアン・エアーズ/山形浩生訳『その数学が戦略を決める』(文藝春秋、1,800円)

 めちゃめちゃおもしろい本です。


 うすうす世間でも気づかれているように、例えば裁判で決められる量刑と理
由は、法律と判例(過去の判決)と浪花節(文学)によって決められるわけで
すから、裁判所(検察官、弁護人、裁判官のそれぞれの机上)に3台のパソコ
ンを置いておけば自動チェス対決のごとく、わずか数秒で決着がつくのではな
いか、あるいはそこまで極端なことを言わなくても、裁判の8割はデータベー
スにまかせて、あとは浪花節(情状)面の論争および証拠の徹底検証(取調べ
時の録画やDNA型鑑定などの弁護側による同条件下での再検証)を存分にや
るようにすればいいのではないか。


 病院でも、生身の医師の診断より、データと計算に基づく診断のほうが正確
なのではあるまいか。編集者や書店員が長年の経験と勘で初版部数を決めるよ
り、アマゾンがデータをもとに計算して「この著者のこのような本なら何冊売
れるか」をハジきだしたほうが、より正確に「部数が読める」のではないか。


 そんな方法を導入したら人間(プロ)のやることがなくなってしまう、とい
う反論もあるかもしれませんが、それは間違いだと思います。
 例えば弁護士には、訴訟以前に依頼人の相談に乗るべきこと、調べること、
依頼人や被告人を励ますこと、また立てるべき戦略もたくさんあります。自分
たちより正確にできることをコンピュータに任せてしまえば、医師や教師や編
集者にも、もっと人間的な、ただし従来は力が充分に及んでいなかった仕事が
山ほどあるはずです。


 ところで皆様、次の問いに答えてみていただけますか。問題は、「正解が9
割の確率でこの範囲にあると思える上限値と下限値をあげなさい」です。本書
の5.2(5章2節)「なぜ人は予測が苦手か」に収録されている10問から5つ
ほどピックアップしてみます。


1、ルーサー・キング牧師の死亡時の年齢は? ( )歳〜( )歳
2、ナイル川は全長何キロ? ( )キロ〜( )キロ
3、OPEC加盟国は全部で何カ国? ( )カ国〜( )カ国
7、モーツァルトが生まれたのは何年? ( )年〜( )年
9、ロンドンから東京までは空路で何キロ? ( )キロ〜( )キロ


 問題1では、キング牧師のことを映画などで知っている日本人なら、(40)
歳〜(45)歳くらいで亡くなったのではないか、と考えるかもしれません。実
際は39歳です。おしかったですね。


 問題2については、赤道(地球の円周)はおよそ4万キロ、東京駅―大阪駅
の距離が約400キロという程度の基礎知識さえあれば、1万キロになることは
ないけれども東京―大阪間の10倍よりは大きいだろう、というような勘が働く
でしょう。実際は6,738キロです。


 問題9も同様に、地球の平均的円周の4分の1くらいか、と考えて、(9,000)
キロ〜(11,000)キロと解答しておきましょう。実際は9,590キロです。


 OPECは1960年に確か5カ国で結成されて、そのあとインドネシアやカタール
も入ったから、10カ国くらいか。少しゆとりをもたせて(9)カ国〜(12)カ
国と答えておきますか。実際は13カ国ですので、ハズレです。


 問題7のモーツァルトが生まれたのは、16世紀? 17世紀? 18世紀? 何
を頼りに見当をつけたらいいのでしょうかね。本当の生誕は1756年です。


 とまあ、単なる記憶力だけに頼らないインテリは、こうやってかなりハズし
てしまうわけですが、もう一度よく問題文を見てください。
「正解を9割の確率で含むような区間を設定する」です。ずばり正解を求めら
れているのであれば、きっちり覚えておかなければなりませんが、「正解を含
む区間」ということですから、わざわざギリギリの範囲を答えるのは愚かな戦
略だということになります。


 したがって、これらの問題に対して全問正解したいなら、例えば問題1では
(1)歳〜(100)歳とか、問題7のモーツァルトでは(西暦1)年〜(1990)
年などと答えておけば、間違うことはないはずなのです。せめて、問題1は
(20)歳〜(60)歳とかね。


《だが実際には、これに答える人のほとんどは自信を持ちすぎてしまう――み
んなついつい、狭すぎる範囲を指定したがるのだ。みんな実際以上にものを
知っていると思いこんでいる。》


 このような10問のうち、正答を9個か10個含むような範囲を挙げることがで
きた人は、たった1パーセントしかいなかったそうです。つまり――。


《九九パーセントは自信過剰だった。
 だから人は偏った予測をしてしまいがちなばかりか、それについてとんでも
なく自信過剰であるがために、新しい証拠が出てきてもその予測を変えたがら
ない。
 実は偏りと自信過剰の問題は、予測が複雑になるにつれて一層悪化する。人
は単純なことは結構上手に予測できる――たとえばコカ・コーラの缶を振った
ら、中身が噴き出すかどうか、など。だが考慮すべき要因が増え、それぞれを
どのくらい重視すべきかはっきりしないと、話は一気にややこしくなる。〔中略〕
 こうなると、ついつい何年も経験を持つ専門家――野球のスカウトや医師――
にひれ伏すというまちがいをしてしまいがちだ。》(以上P153〜P158)


 対イラク戦争の開始前、例えば大統領経済諮問理事会議長のグレン・ハバー
ド氏(当時)は「こうした介入の費用はどんなものであれ、きわめて小額にな
る」と予想していたのですし、ラムズフェルド国防長官(当時)も、「イラク
再建費用は絶対に高額にはならない」と予測していたのでした。


 もう一例を挙げておきましょう。7.3の「地位の衰退」にも、実におそろしい、
しかしとてもリアルなことが書かれています。


《いまや華やかでもなんでもない融資担当者を考えよう。かつては、銀行の融
資担当者というのはそこそこ地位が高かった。給料もよく、だれが融資を受け
るべきか決める本当の力を持っていた。〔中略〕
 今日では、融資判断は本社で統計アルゴリズムに基づいて行われる。銀行は、
融資担当者に裁量の余地を与えるのは商売上まずいと学びだしたのだ。〔中略〕
かれらはまさに、融資申請のデータをうちこんで「送信」ボタンをクリックす
るだけの存在だ。〔中略、とりわけ〕消費者向け融資ではこの戦いはとっくに
決着がついている。》(P226)


 机の引き出しから秘伝の巻物を取り出して天気予報をしていた数十年前と、
超スーパーコンピュータで地球丸ごとの気象変化を詳細にシミュレーションし
てしまえる現在とでは、「予想の質」がまったく異なるのは当然ですよね。


 専門家の役割変化と、個人の自己防衛に関心がある方は、ぜひご一読を。

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