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最初で最後の自己紹介

これから、自己紹介をしたいと思います。

 やってごらんになればわかりますが、自己言及というのは非常に難しい。
簡単だと思える自己紹介は、「他者」の組み合わせをしているにすぎません。
「○○商事の○○です。○○大学○○学部卒、○年入社、妻子各一名......」

 所属する母集団や分類形態を並べ、幾つもの円に重複しているのが「自分」だと
いっているにすぎません。

「○○小学校○年○組の○○です。サッカーをやってます。マックとカレーが大好きです」

 と何らかわるところはないわけです。

 けれども、クラスメートばかりである教室での自己紹介となると、やや事情がかわって
きます。「○○小学校○年○組」は必要なくなりますし、ある程度の歳月が経っている
のなら、自分の名前さえわざわざいう必要はなくなります。

 これとは逆に、他己紹介はどうでしょうか。もし、これも「所属する母集団や分類形態」
だけで済ませてしまうと、よくある結婚式における親しくもない仲人によるありきたりの
新郎新婦紹介になってしまうわけです。もう少しサービス精神を発揮して個性的な他
己紹介を試みると、「そのとき私はこう感じた、こう思った」というふうに、どんどん主
観的になっていかざるをえません。

 これが自己―他己紹介のパラドクスです。

 自己紹介は他者に拠らざるをえず、他己紹介は自己に拠らざるをえない。

 どうしてこんなことを私が考えるに至ったのか、といえば、三月九日発売の文庫
『情報系 これがニュースだ』の解説を自分で書き始めたからです。

 文庫の解説は、筆者以外が書くものと相場が決まっています。つまり、他己紹介
です。そこで私はあえて、自分で解説をやってみようと思い立ったわけです。

 驚きました。なんと難しいのでしょう!

 すぐに気づかされたのは、次のようなことです。

 解説にはこれまで look at us! と  look at him(her)! の二種類しかなかったわけ
ですね。翻訳ものに付された解説で、前者はまずありえません。いかに自分(翻訳
者である場合も多い)が著者のファンであったかに触れるケースも少なくありません
が、せいぜい一回くらいしか会ったこともなく、しかしその惚れっぷりとは裏腹に、
解説文は非常に抑制のきいた、押さえるべきところをきちんと押さえた他己紹介
(look at him)になっている。これに対して、日本人作家の文庫に付された解説は
往々にして、著者と解説者との交友エピソードや楽屋落ち(look at us)が頻出して
しまう。最初から誉めることが大前提になってしまっており、しかも実はそれほど二
人は親しくなかったりするので、解説者と著者との距離感が曖昧なまま最後まで
書き進まれてしまう場合も少なくない。

 それくらいなら自分で解説を書いたほうがマシだ、と私は思った。というか、本人
が書く解説というのは、いったいどんなものになるのだろう、と考えると非常に好
奇心が湧いてきてしまったのです(物珍しさで多少は売れるかもしれないとの考え
もよぎった)。



《第23章「たかが部活のために」を読むと、彼は熱い男なのか。それとも、ただ
飽きっぽい奴か。ヤクザ者か。判然としない。いずれにせよ、ちょっと壊れているの
ではないか。

 つい先日、彼はJR大宮駅で、次のような会話を発券窓口の職員と交わしていた。
日垣「十八時四十六分発の長野新幹線で終点まで、グリーン車を一枚お願い
します(成金的)」

駅員「次に来るやつね。ええと、禁煙席? 喫煙席?」

日垣「長野新幹線のグリーン車には喫煙席はないでしょ(妥協して「禁煙席を」
とはいえないわけである)」

駅員「どっちか一応、聞いとかないとわかんないからさ。ときどきいるんだよね、
あとで代えてっていうお客さんが」

日垣「長野新幹線のグリーン車には禁煙席しかないってんだろ(眉間に皺)」

駅員「いや、ありますよ、東北新幹線とかには」

日垣「東北新幹線で長野まで行けんのかよ、えっ?(いつもの皮肉。こめかみぴくぴく)」

駅員「お客さん、そんなことで怒らないでください。私も一生懸命やってんスから」

日垣「じゃあ、東北新幹線で長野まで一生懸命に連れてってみろよ。ぐちゃ(壊れた)」》



 確かにこれは自己紹介の一変種なのですが、しかし必ずしも他者(母集団や分類形態)
に拠って書かれたものではありません。

 しかもこの書き手は、いま引用したようなやりとりを、たまにやっているのではない。こう
いうことが毎日、あるいは一日に何度も彼の身に起きているわけです。強調しておきたい
のは、このような「ヘン」さが、ある程度は本人にもわかっている、という点です。妥協して
「禁煙席を」といえば済むのに、彼はいわない、という事態を本人も理解している。頭の斜
め上一メートルくらいのところで他者的な自分が冷静に観察しているわけです。

 こうやって考えてくると、解説だけでなく、およそ文章というものは、二通りしかないこと
が判然としてきます。

 日本の近代文学は私小説とともにあったといってもいいわけですが、この私小説という
文学形式では、「私」を描きこめば描きこむほど、そこから「他者」や「時代」が浮かび
上がってきてしまう。自己言及すればするほど、社会性を帯びてきてしまうのです。それ
が日本の私小説だったと思います。社会性を帯びない自己言及は、そもそも編集者の
目をパスしないわけです。しかし逆に、他者を描いているはずの評論やノンフィクション
が、いつのまにか look at me! に陥っている例が非常に多い。自己愛がめっぽう強い
くせに、自己―他者の構造に無自覚なためだと思います。

『情報系 これがニュースだ』に収められた二十五の物語は、look at him(them) を
願って書かれたものです。私の関心の赴くまま、しばしば濃密な関係を築きつつニッ
ポンの姿を多角的に描いたつもりです。一人称を使わない新聞記事は、いっけん客
観的なように見えて、実のところ「ルック・アット・我が新聞」でしかなかったりします。
そういう記事がなぜつまらないかといえば、書く側と書かれる側との関係性がゼロだ
からだと思います。

 他者のことだけ威勢よく批判するのに、結局自分がいかに偉いかを誇示することに
しか関心がない書き手がいます。佐高信さんが良い例でしょう。

 三月八日発売『偽善系 正義の味方に御用心!』の第四章「辛口評論家の正体」の
新しさは、自分で「新しさ」というのも何ですが、笑いだと思います。あるいは、批判者と
被批判者との微妙な距離の取り方にある。およそ批判対象の本を読み、分析し、批
判する、という作業を持続させる力が、無関心であるわけがありません。なぜかくも
熱く相手を否定するのか。自己を見つめる作業が欠かせません。しかし佐高信さんの
批判の仕方は、いつも全面否定です。その佐高信を全面否定したのでは同類になっ
てしまいます。だから、笑いを人物評論のモチーフに据えました。笑いというのは、
あらかじめ想定された二つの距離が、微妙にズレたとき生じるものだと思います。

 三月十日には、書き下ろしで『いのちを守る安全学』(新潮OH!文庫)が出ます。
小西聖子氏(事件被害)、中西準子氏(化学物質)、廣井脩氏(震災報道)、畑村
洋太郎氏(失敗学)とのサイエンス対談です。科学者との対談なのに、私は非常に
「私的な体験」をためらわず相手にぶつけています。かなりシビアな話題を交わし
ているときも、笑いの精神を失わないよう務めました。

 どうでもいいことですが、私は書くのだけは早いのかもしれません。なぜなら、
どんなに締め切りが込んできても、一週間のうち三日は仕事をしていないからです。
どうしてわざとそうしているのかといえば、サラリーマンなら歳をとるにつれて年収
も上がっていくでしょうが、私の加齢と収入は関係がありません。ですから歳をと
るにつれて、パワーアップしていかないと、この商売はやっていけないのではない
かと、最初からそう思ってきたわけです。

 おかしいですか?

 もう少し自己紹介を続けます。意外にも私には look at me という執筆目的は
非常に希薄で、羞恥心のほうが先に立ってしまうため、たぶん、自己紹介はこれが
最初で最後になると思います。



 さて、私が小さい頃から夢見ていたのは、ただ一つだけ、「何でもいいから何かの
プロになる」ということでした。小学校のときは野球選手か考古学者、中学ではトラン
ペッター、高校では政治家、大学ではレーサーかゴルファーにでもなりたいと思って
いました。しかし多少うまくなってくると、自分がプロで食っていけないことくらい気づ
いてしまうものです。しかも、無理してサラリーマンになった途端、なかなか朝は起
きられないし、ろくに勤まらない。三度目の失業時には、面接日に寝坊して遅刻し
てしまったほどでした。

 ほとんど流れてしまった感のある面接でしたが、その企業の経営者が面接終了
直前、「それでキミ、ぶっちゃけた話、本当は何をやりたいの?」と聞いてくれて、
「本当は、行きたいところに行って、会いたい人に会って、読みたい本を読んだり、
書きたいことを書いたり、そういうことをして暮らしたい」と私は口走ってしまい、
そうしたらその社長さんは、「なんだ、それならあるよ」とライターとTVレポーターの
仕事を紹介してくれたのでした。生まれて初めての連載ルポの依頼時に、「取材って
何ですか?」と聞いた私でしたが、こうして八八年から毎月海外へも"取材"に出か
けるようになります。

 そうやって偶然なった「作家・ジャーナリスト」だったためか、いつでも辞められると
思っていたので、書きたくないことを嫌々書いたこともなければ、逆に書きたいことさえ
書ければ収入なんて低くていいだなんて思ったことは一度もありません。

 ふと振り返ってみれば私は学生時代、学園祭や新入生歓迎フェスティバルや
自治会など何々委員長とかいう「長」のつく役職にたくさん好んで就いており、
四百字詰原稿換算でいえば毎日三十枚くらいの分量を印刷用に三年間ほど休
みなく書いておりました。

 いつのまにか論争も大好きになり、どう書けば相手がいちばん傷つくか、日々研
究に努めたりもしていたわけです。そのかわり十代から見知らぬ他者に批判され
ることにも慣れていたので、のちに例えば辛口評論家氏から「(日垣を批判したとき)
ゴミ虫をつぶした感じで、後味はよくなかった」(『佐高信の直球曲球』)などと罵ら
れても、むしろ元気になってしまう(ゴミ虫だからね)。

『噂の眞相』なんていう居丈高な雑誌から、「日垣は、若い頃から『最低一日一冊』
本を読み続けてきた、と豪語しているが、こんな《名著》にしか出会えなかったとは、
なんともお寒い読書人生だ」(二〇〇〇年十二月号)と指摘されたのをエネルギーに
して、『偽善系II』第六章のタイトルを「クソ本を読む」にしちゃったくらいです。



(「本の話」2002年4月号に掲載)

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(1)学生時代(3年生)。在仙台12大学合同・新入生歓迎フェスティバル実行委員会の委員長として(だからスーツを着ている)。この役職を利用して知り合った女子大生と学生結婚(長女は4年生のときにできた)。当時は「長」の肩書きが5つもあり、大量の文章を毎日書いていた。


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(2)生まれて初めての聞き取り取材は中国黒龍省で、残留日本人妻たちから(1988年)


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(3)国内離島取材のため軽飛行機のライセンスを自ら取ることを決意(1994年)

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(4)唯一尊敬する作家ヘミングウェイの足跡を追って、大草原のロッヂにて。自分には『老人と海』なんか書けないと悟り、一人淋しく野生のハイラックスと会話中。(2000年1月ケニア)

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(5)シドニーで女優修行中の娘(高校3年生)を訪ねた親ばか(2001年1月)

 

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