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第2章 バグダッドの総合病院にて

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  べテラン・ガイド氏に訊けば「今も自由に病院へは入れないはず」という。「事前に許可を得なければならないし、その目的も明示して理解されなければ受け付けも通らない」。素直に助言を聞かないで申し訳ありませんが、それは情報省が取材のすべてを仕切っていたフセイン時代の流儀であり、米兵の管理下に置かれた建物に対する厳格な規制も確かにそのとおりだろう。しかし、私の素朴な体験によれば、かつての東欧や現在の北朝鮮を除いて、およそどの国の学校でも病院でも、観光客には優しくオープンなものである。「取材」を申し込めばいろいろ制限や粉飾が加えられ、取材される側も何かを意図的に伝えようとしてしまうけれど、「外国からのお客さん」にはありのままを見てもらおうと、たいていの人ならそう思う。
  ところで、日本人総勢9人が連なってぞろぞろバグダッドを歩くのは、あまりにも目立ちすぎてしまう。そこで私たちは3人ずつの単位で"てきぱき"と行動することにした。私のグループが即席タクシー(他に職業をもって、それだけでは食えないのでアルバイト的ニやっているタクシー)に乗って市内の総合病院に着いたとき、私は「堂々と歩いてね」と他の2人に伝え、「いつものように知り合いのお見舞いに来た」かのような雰囲気で堂々と病院の中に入っていった。誰にもとがめられず、簡単に入ることができた。
  裏口から入ろうとしたとき、いきなり死体とすれ違った。階段を上がり幾つかの病室を訪ねると、そこにも死を待つ人々がいた。


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 看護士の詰め所にあった医薬品らしきものは、これがすべてであった。


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 ダンボールの切れ端を食事のお盆がわりにしていた、このベッドの人も今はいない。


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 13年にも及ぶ経済制裁のなかで外国から輸入を許された品目は、病院関連ではこの栄養剤と生理食塩水だけだ。


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 本日、亡くなった。


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「次」の人を待つベッド。ここは総合病院であって、野戦病院ではない。


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 イラク戦争が「終結」したあと、少年は腹部を撃たれた。12歳。母は片時も離れない。

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