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爆撃後のイラク紀行 第1章 ヨルダンから陸路イラクへ

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 アンマン(ヨルダン)のホテル・ロビーにて。約10日間の休みをとらなければならなかったため、出発前までに各自大量の仕事をこなしてきた(はず)。翌日からのイラク入りに際し、それまでの躁的「がはは」を抑えて、カメラ撮影を前に「いかにも会議をしている」感じのポーズをとる9人の隊員たち。大山隊員が地図を広げているが、あまり意味がない。正面に座る隊長のみ一人孤独に、ずっしりと責任の重みを感じている様子が窺える(うそ)。                                           【撮影:野添隊員】


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 ここはイラクとの国境のヨルダン側。朝7時に「国境が開く」と聞き及び、私たちは朝1時半に起きて2時半にアンマンのホテルを出発。「国境」といっても、イラクの国と政府は溶けてしまったため、ここを「国境」といっていいのかどうか。たぶん、いいと思う。白地にオレンジのツートンカラーは、イラクのタクシーである。車上に荷物を縛りつけている。ナンバープレートのない車も多く、これはイラク政府が瓦解し関税がなくなったため、しかもイラク人を苦しめ続けた経済制裁も実質解除されたため、怒涛のごとく無関税商品がイラク内になだれ込んでゆくのである。


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 空半円形に描かれた国境地点を抜ける。さらばヨルダン。フセインや金父子の肖像と同様、私にはヨルダンのこの御真影も「ぷぷっ」な気がします。


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  ヨルダン国境を抜けると、すぐに「イラク」に入るわけではない。ここはノーマンズ・ランド。Noman's-landとは、国家による統治のない中間地帯のことである。実際には戦争で逃げ場を失った家族が、どの国どの国際機関にも見離されて行き着いた場所だ。砂漠で摂氏45度の炎天下にテントを張らされるこの現実を目前にした私たちは、しばし言葉も少なくなってゆく。


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  もちろん学校もない。あるのは家族単位のテントだけだ。遊び盛りの子どもたちが、物珍しげにわさわさと集まってくる。
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  こわもてのサングラスの下は、意外に童顔。たぶん19歳くらいか。「早くママのところに帰りたいよお」と顔に書いてある。


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 対抗車線では、イラクから出て行く車を一台一台、厳しくアメリカ兵がチェック。きみたちはいったい何の権利があって、そういう横暴なことをするのかなあ。ただし、イラクに入る車は、5月半ばまで厳しく取り締まれていたそうだが、我々がイラク入りした5月22日は、ノーチェックで通過できてしまった。それまであらゆる事態に対応できるように幾種もの書類を何日もかけ用意してきたのがあっけなく吹き飛び、拍子抜けする隊員たちであった。


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 イラクに入って、初めて出会ったイラク人。ひたすら愉しそう。ほんとに戦争やってたの? とすら思う。この後イラクを旅して実感したのは、イラクの男たちには「少年しかいない」ということだった。


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 アンマンのホテルを発ってから約15時間後にイラクのホテルに到着。中東在住9年のガイド氏に、イラクでは「あれもやるなこれもやるな夜は外に出るな一人で歩くな」と怒られながら、聞こえないふりをする少年少女イラク隊9名は、ようやく歩道上で夕餉にありついた【撮影:大山隊員】。「けっこううまいじゃない」とこの時はたらふく食べたのだが、「チキンの丸焼きと(洗った水が危ない)野菜しかメニューにない」攻撃に、次第に消化器系がヤバい感じになってゆく。さらに猛暑が体力を奪う。

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