ID:

パスワード:

前の記事| |次の記事

中島梓さんの「更新日記」から

《おととい買ってきた4冊のエッセイ、全部読んでしまいまして、さいごに日垣隆さんの「エースを出せ!」という、マスコミ論というか、そういうのを読んで面白かったんですけど、きのうたまたまエッセイについてちょろっと書いたでしょう、そしたらこの「エースを出せ!」の前半3分の1くらいが朝日新聞の「天声人語」への激烈な批判だったのですね。それと紙面批評、なかなか痛快でもあったんですが、まあとても正直いって「天声人語」っていうと「面白くないコラム」の代名詞みたいになってますけども〔中略〕。


「紙面批評」については、実は私も紙面批評を頼まれたことがあって、そのときにたいへん担当記者と喧嘩してムカついた、ということは前にもお話したことがあるかと思うので、この「天声人語」攻撃をみただけでも、日垣さんがどういうふうに喧嘩しただろうな、みたいなことは想像がついて(^^;)いやあー大変でしたね、あの仕事はほんっと大変ですよ、とエールを送りたいような感じですけど、日垣さんが担当されてる最中に紙面批評のコーナーそのものがなくなっちゃった、というのはなかなかの威力だな。結局私は担当した4回だか、毎回怒りながら無事につとめちゃったですもんね。もっとも私は間に当時のマネージャーがたっていて、一番ムカついていたのは当時のマネージャーだったみたいで、毎回毎回「もうっ知らないっあんなオヤジっ。ねえーっ絶対変ですよこんなの、いいっていっておいてあとでああだこうだいうんだから」って激怒してましたから、私が直接担当記者とやりとりしていたら、途中で爆裂していたかもしれないなあ。とにかく、「何でも結構です、忌憚ない率直な批判をお願いします」ということを明確にいって原稿を依頼しておいて、書くと「これは社内的に問題がおきるから困る。この言い方をされると担当した者が可愛想だからこの表現はやめてほしい」とか、そういうことをくだくだくだくだ云ってくる、っていうのはやっぱりおかしいですよねえ。〔中略〕


 たぶん天声人語に選ばれる記者さんというのは、自分は新聞記者である、だから「プロの作家じゃない」と考えてるんだろうと思うんですが、文章を書いて活字にしてそれが大勢の人に読まれるんですから、それはもう、「平凡な感性」や「意を過不足なく伝えることのできない文章力」や「才気のない知性」とかは「あっちゃいけない」ものなんですねえ。意見そのものに対してはいろいろと批判の余地もあろうし、逆に右だろうと左だろうと、その書き手当人の意見や感覚を持つ自由はあるんですが、「文章技能」に関しては、あるレベルってものがあって、それをこえないと、大勢の人が読む文章を発表することは「いけない」という、そういう関門てのがあると思う。我々フリーランスの人間というのは、その関門を「越えないとプロになれない」「越え続けていないと次々注文がこない」ということがありますので、つねにその関門と勝負するわけなんですが、「社内の人間」いわゆる「親方日の丸な人」っていうのは、実はそのフリーランスが必ず通る関門を越えないでも、「なんかのはずみ」で毎日コラムを執筆する人間になれちゃったりする。それってすごい、かえって恐ろしいことだと思う〔中略〕。


「朝日新聞は読むとこない」っての、失礼ながら、私もけっこう痛感しますよ。特にうち、朝は朝日とサンケイですけど夜は、サンケイが夕刊なくなったから朝日だけですからね。どうも、夕刊て、つまんないなあ、って思っていたら、朝日なんですね(大爆)。〔中略〕でも「サンケイだけ」の生活になっちゃうのも、ちょっとかたよりすぎじゃないだろうか、って気がして心配は心配なんだけれども。》


 以上は、8月6日(土)の日記からでした。
 全文は、とても長いです。こちら ↓
  http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2005-8-6.htm

【日垣によるコメント】 中島梓さんは、『グイン・サーガ』(最新刊は103 巻)などで知られる小説家の栗本薫と同一人物です。両方(評論と小説)とも、私もよく読みました。最近では、ときどきベタな発言をこの「日記」でして、ネット住人の一部で叩かれることもあるようで。書くスピードが速すぎるのかもしれませんね。


 それはともかく、「紙面批評」について同じような目に遇っていた人が、ほかにも少なからずいらしたようで、皆様の我慢強さがしのばれます。


 新聞の宅配は、皆様も一度全部やめてみたらいかがでしょう。

前の記事| |次の記事

 

ページ先頭に戻るトップページに戻る